昨年話題になった映画「あん」を見た。監督は河瀬直美、樹木希林と永瀬正俊が主演。
<どら焼き屋「どら春」の雇われ店長として単調な日々をこなしていた千太郎(永瀬正敏)。そのお店の常連である中学生のワカナ(内田伽羅)。ある日、その店の求人募集の貼り紙をみて、そこで働くことを懇願する一人の老女、徳江(樹木希林)が現れ、どらやきの粒あん作りを任せることに。徳江の作った粒あんはあまりに美味しく、みるみるうちに店は繁盛。しかし心ない噂が、彼らの運命を大きく変えていく…>(「あん」のHPより)
番宣で樹木希林が「河瀬組の映画はきつくて、もう二度と出たくない」と笑っていたのが印象的で、なおいっそう完全主義者の河瀬監督に期する思いが高まった。
会社を辞め、社会からも離れて以降、自分の趣味趣向が固定化した。映画については、淡々としたテイストであること、暴力シーンや殺人がないこと、ストーリーの面白さが前面に立たないことなどが必須条件となり、出来れば登場人物に悪人がいないことを願い、政治的主張がなくて社会性さえない人間ドラマが好ましい。
「あん」では、根強い偏見と差別を受けてきたハンセン病(患者)が重要な鍵となっているので、当然のことながら社会性がある。ゆえに、後半になって徳江がハンセン病罹患者であることが噂として流れ、店が立ち行かなくなるところで内容が徐々に教訓的となり、自身の嗜好の閾から出てしまうシーンが何度か出てくる。なので、自分が差別や偏見に怒らないよう少々注意を要した。この点を除けば、自分の趣味に合う映像と内容で、永瀬正俊が泣くところでは泣け、樹木希林が微笑むところでは微笑むことが出来た。
私はもう無理しない。基本的人権が守られることと、思想信条の自由と、戦争に繋がるいっさい全てを唾棄する、という日本国憲法の要件に疑いのなかった70年代80年代の思想で十分である。止まっている、と思わないでもないが、時代の潮流なんてくそくらえである。
夕方、巨人の高木投手が野球賭博の件で記者会見している映像を生中継で見た。
当初は冷ややかに見ていたのだが、自分の言葉で拙い説明をしている口元を見ていると下唇から顎にかけての筋肉が終始ぶるぶると震えている。高木の重圧と後悔がダイレクトに表れていて、こちらまで泣きたくなった。まだ弱冠26歳、人生はこれからじゃないか。
正義感を振りかざして批判する、というのは正しいかもしれないが、失敗した者をどう更生させるのかという社会的フォローだって正しいはずだ。刑事罰になるとしたら何年なのか、その後の野球界復帰は可能なのか、どうすれば賭博癖を治すことが出来るのか、といった転落者に対する優しい視点が乏しい社会を私は認めたくない。
というのも、私が青年期だった70年代80年代は、人生で一度や二度失敗したって立ち直れる社会だったからだ。たとえばこんなヤツがいた。大学5年から司法試験を3度連続で受けても不合格で、結局試験を諦めて彼は太田区の臨時職員となった。その後、風の噂で、臨時から正職員となり、さらに人事制度が変わって東京都の地方公務員だ。民間企業でもこの手のなし崩し的な正社員化がごく一般的にあって、大学を卒業した時点でプータロー以下だった落伍者が30歳になった頃には普通に食えていた。役所でも私企業でも、躓いた者を割と好意的に拾ってくれていたのだ。かくいう私だってその一人だ。
いまの社会は若者に厳し過ぎる! 年寄りには甘すぎる(苦笑)。
ログインしてコメントを確認・投稿する