夜9時、NHKスペシャル「縄文 奇跡の大集落」(ほぼ100パーセントが三内丸山遺跡の話)を観た。紀元前1万年前の住居や道をどこまで正確に復元しているのかは神のみぞ知るだが、縄文土器だけで千個単位で当時の物が発掘され、他にも土偶や首飾りやどんぐりや魚の骨が多数出土しているのだから、相当に文化が発達していたことは間違いない。
ただ番組の中でいくつか気に掛かったこともあった。これほど高度な文明が1万年以上前から1万年間にわたって続いたというのは世界史上で例を見ない、というニッポン翼賛史観が何度となく繰り返されたことと、持続可能性社会であったという「今にして思えば」式のパースペクティブを強調していたことだ。文化や文明というのは本来、その価値に上下などない。世界各地にはそれぞれ固有の文化があり、栄華盛衰を繰り返しながら、少しずつ進化ないし退化している。文化人類学ではほぼ定説となったレヴィ=ストロースの考え方、未開社会は西洋文明より劣った社会であるという視点は間違いである、という尺度があるのだが、今日のNHKスペシャルでは一貫して「縄文時代は道具や生活形態や町づくりに於いて現代と較べて決して劣っていたわけではない」という浅薄な見方に終始していた印象だ。コメンテーターに起用したイギリス人学者アメリカ人学者に「たぐい稀なる文明だ!」とたびたび言わせたのか、意図的にその部分だけを抽出したのか、いずれにしてもあまり気持ちいいものではなかった(非国民としては)。近年、高校や大学で習った「定理」がことごとく役に立たないどころか、否定されることばっか。軍国主義が終戦を境に180度の転換となって多くの大人が戸惑ったらしいが、これと似た現象だ。
野澤一からソロー、ソローから日本で初めてソローを翻訳した水島耕一郎へと、読むべき対象が繋がって行き、まるで学生みたいにメモをとりながら本を読んでいる。って言うか、最近の学生はメモもノートもないだろうな。研究室の内装費に1000万円超の費用をかけた小保方さんを見ればよくわかる。大事なことは結論であって過程はただの付随物に過ぎず。
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