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2015年07月06日21:05

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北沢洋子さんのことなど

 日記を書く前、その日の出来事とか考えこんだこととか、ほとんど振り返ることなくキーを叩き始める。昨日は日記を書き急いで、そのままアップロードした。まるで汚い物に蓋をするかのように。そして1時間くらい経ってから、朝刊に載っていた北沢洋子さんの訃報を思い出した。
 北沢さんは70年代後半、知る人ぞ知る良心的な活動家だった。世界経済の南北問題を主に追っていた女傑だ。個人的には何度か(仲間に誘われて)講演を聴きに行ったり、まとめられたブックレットを読んだ程度で、社会に出て以降彼女の活動を目にする機会はほとんど皆無に等しかった。せいぜい朝日新聞に寄稿された論説を偶然のように読んだり、かつては夕刊でしばしば見かけた講演情報の欄でお名前を拝見した程度だ。昨日の夜になってようやく、北沢さんが以前からHPを開設されていて、いまなお世界の貧困について定期的に論考されていることを知ったくらいだった。
 北沢さんっておいくつで亡くなれたのだろう。ウィキペディアで見ると1933年生まれとあった。北沢さんと私のなかで同じ位置にあった人がいる。アメリカの人権活動家スーザン・ソンタグさんで、70年代後半から80年代にかけて「朝日ジャーナル」にしばしば登場されていた。その頃の「朝ジャ」は<一時代を画したという過去の雑誌>になっていた。その頃の東京ではゴージャスな「コンパ」なるものが夜ごと繰り広げられていて、学生たちが「パー券」を売りさばしていたり、なかには美味しいショーバイをしている者もいるというウワサがあったが、田舎の大学生はまだ左翼な伝統を輪島塗り職人のように守り抜いていたのだった。後年、田中康夫の『なんとなくクリスタル』を読んで、ウワサが本当だったこともわかった。
 スーザン・ソンタグさんの経歴をウィキで見て、北沢さんと同じ1933年生まれであるという奇遇にまず驚き、次に2004年に亡くなられていたことも昨夜、初めて知った。いや、知っていたのかもしれないが、2004年の私なら過去の活動家の死なんてどうでもいいことだったのかもしれない。日々が慌ただしく過ぎていくようなサラリーマン編集者生活で若い頃の良心を意識的に抱えながら仕事をするなんて芸当は、非力な自分には出来なかった。
 自分より20いくつ年上の方々が亡くなっていく。死は順番に訪れるものではないけれど、次の次が自分か、と死を想う。甘いのは次ではなく次の次と、まだ死を近未来のものとして捉えず、時間は永遠に続くという幻想を幾分ではあるものの持っていることだ。
 
 今日は午前11時過ぎ、瑕ついたクルマを修理してもらうべく、自動車屋さんに行った。いくらかかるのだろう、という不安は持たないよう努めたのだが、そうして遠巻きにしているうちと余計、焦点が合わなくなって、「もうクルマ、捨てよかな」という気持ちが湧いてきた。最初は経済的な側面のみの苛立ちだったのだが、なんか自分が生きてることそのものに苛立ちを覚えていることを肌身で知った。それは、文学青年や失恋した女の子が抱く甘ったるい自殺願望なんかより遙かにたちが悪い感情で、精神の硬直化が顕著に見てとれる。
 それでも帰り、大船駅まで送ってもらい、安売りのドラッグストアで液体はみがきや目薬を買って、まだまともな生活を送ろうという惰性だけはある。笑えることにドラッグストアの表口にも裏口にも牛丼屋があって、つい不味いが量だけはしっかりある牛丼を食ってしまうというオチもついたので、まだ大丈夫かな。
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