朝、翁長沖縄県知事が訪米して政府関係者や議員たちに辺野古移設反対を説いて回るも面談者からは冷たい反応しかなかった、という記事を読んで、勇気づけられた。辺野古移設の撤回が県知事の行脚で覆るほどゆるいものでないことくらい、知事や沖縄県民は百も承知だ。嘲笑するべきは菅官房長官の談話だろう。「今回知事は時間をかけて米国まで行き、米国務省はこういう発表をしている。辺野古移設が唯一の解決策ということを認識したのではないか」
この冷ややかさは、辺野古移設を粛粛と進めている政府の姿勢を象徴している。自国民より米国の意向に沿う政策こそ、売国奴と称すべきであろう。最近しばしば感じることだが、売国奴などと戦前の中傷用語を使う輩こそが国家を貶める無教養で付和雷同な売国奴であることは自明だ。何しろ文化や歴史に於ける教養がない。人間、ふとしたはずみに、先人の哲学をひいて、世阿弥はこう言っただの枕草子ではああ書かれていただのと、自説の基である伝統的な考え方を披瀝するものだが、安倍や菅が哲学書や小説を引用したなんてことはまずない。
今日は「文学界」を読みに行きがてら図書館へ。特集「反知性主義に陥らないための必読書50冊」でどんな本が挙げられているのかと興味津々だったが、あまりに低レベルでがっかりする。車谷長吉追悼として、三浦雅士「私小説の臨界点──実名とは何か」と
上野千鶴子の「作家デビュー前の車谷さんのこと」の2本の寄稿があったが、いずれも車谷を語る人間としてふさわしくない。丁寧に車谷の本を読んできた、とはとてもじゃないが認めがたいエッセイで、墓の下から車谷が「死人に口なしやと思とったら、寝首かかれるで。文壇は甘いムラのままでいずれは廃村になるやろ。わたしの死が文壇の死期を早めることは間違いない」と言いそうな内容だった。
一週間ほど前に、情けないけど面白いブログを偶然読んだ。勝山実という40歳代の、年季の入った引きこもり男なのだが、彼は本を出していて、鎌倉図書館にもあることを事前に調べていたので、借り出した。
で、帰宅後、ちょっとだけという条件付きで読み始めたら、これがかなり面白くて、しかし自分にも共通するところが多々あって、笑えない。世の中にはカタカナで「サイテー」と揶揄したい男がままいるので、これからもサイテー男の本をみつけては読んでいきたい。ちなみに車谷は、私のなかで「サイテー男」の第一人者だ。
夜はお寺で蛍の会に出席。臨席のご夫妻と長々話し込む。
自分がこれほどおしゃべりだったことに驚く。歯が痛いし、体調自体も悪いし、ウツ状態なのに、ぺらぺらよどみなく言葉が次から次へと出て来て、淋しい男が久しぶりに人の輪に入ってはしゃぎ過ぎ、という構図だ。軽いなぁ。
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