河鍋暁斎は「その手に描けぬものなし」と言われるほどなんでも描く、そしてたくさん描く。もちろん人気絵師だからたくさん注文が来る、そして、たくさん残っている。何度見ても面白く素晴らしい作品だから、何度も展覧会がある。
私も好きで、河鍋暁斎と聞くと悉く足を運んでいた。最近では、2021年に東京ステーションギャラリーで「河鍋暁斎の底力」展、2019年にサントリー美術館で「河鍋暁斎、その手に描けぬものなし」展があった。
静嘉堂文庫美術館もとっておきの《地獄めぐり図》を持っているから時々披露する。
興味深かったのは、2015年三菱一号館美術館で開催された、弟子のジョサイア・コンドルとの交流を紹介した展覧会だった。
また、イギリス在住のイスラエル・ゴールドマン氏は世界トップクラスのコレクションを持っていて、2017年にはBunkamuraザ・ミュージアムで、ゴールドマン・コレクション展があった。
で、今回の展覧会である。またしてもゴールドマン・コレクションかと思ったら、日本初出品が111点中半数以上の67点もあるという。たとえ目新しさはないにせよ、大好物はいつまでも大好物だ。
ランチはミッドタウンの鶏三和。
平日12時半入場。サントリー美術館通常の人の入り。「絵金」展の方が多かったかな。
写真撮影可は8点のみ。会期中の入れ替えは12点でいずれも版画。
展示構成は、モチーフ別(けもの、ひと、おに、かみ・ほとけ)、最初にハイライトがあって暁斎の魅力にハマりやすいよう、初心者でもOK。
そしてやっぱり面白く、楽しかった。なにせ暁斎の原点は「鳥獣戯画」だからね、門弟期間は短かったにせよ、江戸っ子歌川国芳の影響だって受けているだろうしね、なにしろ描くことが好きで楽しんでいたことがよくわかる。
署名もまともにできないほどにべろべろに酔っ払って描いただろう席画もあった。
ゴールドマンさんもコレクションすることがさぞ楽しかったのではないかしら(ゴールドマン氏が暁斎を語るVTRあり)。ジョサイア・コンドル氏旧蔵の作品も多かった。
https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2026_1/index.html
幕末・明治期に活躍し、今なお国内外で高い人気を博す河鍋暁斎(1831–89)は、天保2年(1831)、下総国古河(現在の茨城県古河市)に生まれました。数え2歳の時に、家族とともに江戸に移り住むと、7歳の頃から浮世絵師・歌川国芳に手ほどきを受けるようになります。その後、駿河台狩野派の前村洞和・狩野洞白陳信のもとで修業を積み、19歳の時に洞郁陳之の号を授かります。安政4年(1857)に絵師として独立すると、その頃から「狂斎」を名乗り始め、肉筆画、浮世絵版画を数多く制作しました。様々な流派を広く学び、狩野派の本格的な訓練で培った高い技量と、狂画(戯画)の諧謔精神を組み合わせて、独自の画風を確立しました。手がけた作品は神仏画から妖怪画、動物画、世相を反映した風俗画や戯画にいたるまで多岐にわたり、そのいずれにも卓越した画技と機知に富んだ発想が見られます。
人前で即興的に絵を描く席画も得意とし、客の求めに応じてその場で揮毫する書画会にも頻繁に参加しますが、明治3年(1870)、書画会で酔って描いた絵が見咎められ、逮捕、投獄されます。放免の翌年、号を「暁斎」と改めて以降も精力的に制作を続け、暁斎の画業は全盛期を迎えます。
また、開国以来、多くの欧米人が日本を訪れるようになり、暁斎と交流を持ちました。フランスの美術品蒐集家であるエミール・ギメは、その著書『日本散歩 東京−日光』(1880年刊)で初めて暁斎を海外に紹介し、欧米における暁斎の知名度を高めました。日本に住んでいた建築家のジョサイア・コンドルや元軍人でジャーナリストのフランシス・ブリンクリーらは、暁斎の弟子となって絵を学んでいます。
明治22年(1889)、暁斎は胃がんのため59歳で亡くなりますが、彼の生み出した作品は国内外に多大な影響を与えました。
本展では、暁斎コレクションとしては世界でトップクラスの質と量を誇る、イギリス在住のイスラエル・ゴールドマン氏の所蔵作品より、コレクションを代表する名品や、日本初出品の貴重な肉筆画、第一級の摺と保存状態の版画など約110件を展示します。
出品作の半数以上が日本初出品となる、世界最高峰の暁斎コレクションを通して、暁斎の多彩な世界をお楽しみください。
第1章 ゴールドマン・コレクションのスターたち
《像と子熊》
ゴールドマン氏、この作品を一度手放し大変後悔して買い戻したという。確かにこういった作品にこそ暁斎の魅力が詰まっている
以下の作品は全部初めてではないが、楽しいのでやはり紹介しておこう。
いずれも蛙を擬人化。小道具は蓮。鳥獣戯画だね。
《蛙の放下師》
放下とは曲芸のこと。
《蛙の学校》
教師が指している大きな蓮の葉は、当時学校で用いられた大地図などを模している。明治になり学校制度も変わった。
《鯰の船の乗る猫》
鯰はお役人、猫は芸者、遊女。お役人はナマズ髭を生やしているから。芸者、遊女は猫の皮の三味線を弾くから。これは、お役人が芸者、遊女に骨向きにされている図。暁斎の戯画は社会風刺も多い。
《枇杷猿、滝白猿》
暁斎は猿も飼っていたいようで良く観察している。
表装が蓮の葉柄で立派なので、元は、中央に白衣観音像があって三幅対だったのではないか、と。
《竜頭観音像》
暁斎は信心篤い人だった。
《烏瓜に双鴉図》《枝上寒鴉図》
右は日本初出品。対だったのではないか、と言われる。
《閻魔大王浄玻璃鏡図》
亡者の美女が見ているのは生前の悪行を映し出す鏡、ところが美女は罪人ではなかったので清らかな姿しか映らない。これには閻魔さまも困り顔。
会場入り口がこの絵になっていて、鏡に自分が映るという仕掛けになっていたよ。
《幽霊図》
下絵の展示もあり。モデルは、亡き妻・登勢の死顔とか。そういえば、暁斎の最初の妻は鈴木其一の娘で、やはり若くして死別だった。
この絵の凄みは、右目が青、影になっている左目が金で塗られている。2015年藝大「うらめしや〜」展で他の幽霊図の中でも怖さが倍増だった。
《百鬼夜行図屏風》*写真撮影可
前日東博本館で見た《百鬼夜行図(文化3年の模本)》もこれと同じ、大徳寺真珠庵本を原本としている。それにしたって絵巻ものから大きな屏風になると楽しさ倍増。
蝙蝠の羽が生えて飛んでいる頭をみると、西洋宗教画の天使を思い出してしまう
《地獄太夫と一休》*写真撮影可
2015年藝大美術館で見た「ダブルインパクト」展では、ボストン美術館からこの《地獄太夫と一休》が出ていた。日記を検索してみると、ボストンのは、後ろが屏風でなく衣桁になっていた。そうとう人気のある画題だっらたしくバージョン違いがたくさんあるようだ。
地獄太夫は、この苦界に身を置くことになったのは前世の悪行のせいだとし、自ら地獄太夫を名乗り、地獄絵図の打掛を着ている。
一休が芸妓達と一緒に踊っていると、芸妓達が骸骨の姿に変わりながらも踊り続ける。それに驚いた地獄太夫が、一休から「生きている人間も死んだ人間も表裏一体で同じものなのだ」と説法を受け、地獄太夫は終に悟りを得る、という話。
《地獄太夫と一休》*写真撮影可
太夫の打掛の精緻さと対照的に一休の僧服は墨でささっと粗く描いている。表情も対照的だ。
《墨合戦》
公家と武家が墨を掛けあっている。戊辰戦争に引っ掛けているらしいが、こういうユーモアセンスが抜群。
2章以下に日本初出品が集中
第2章 けもの
《枯木に夜鴉》
これと良く似た《枯木寒鴉図》を当時の破格値百円で榮太郎初代が買ったという話は有名。暁斎は「これは鴉1羽の値段にあらず。長年の画技修行の価なり」と言ったそう。
《群蛙嬉戯図》日本初出品
画像が小さくてわからないのが残念。蛙が月夜に相撲をとっている。蛙の不動明王は「鳥獣戯画」から抜け出たもの。蛙相撲の周りでは、まわしを締めている蛙、ストレッチして出番を待つ蛙、腕相撲する蛙などいて賑やか。
《眠る象》日本初出品
暁斎は本物の象を見たそうだが、寝ている象を見たのかどうか?猫のように丸くなって寝る姿が可愛い。墨線で、寝息に合わせて体が上下しているようにみえる。
《猫と鯰の頭》日本初出品 *写真撮影可
役人(鯰)を手玉に取って食い物にし、肥えて満足した芸者(猫)の姿と解釈。
《鯰の曳物を曳く猫たち》(部分)
神田祭に模している。鯰を瓢箪で女が押さえている曳物。「滑りやすい瓢箪でぬるぬるした鯰を押さえられるのか?」という禅問答がある。また、大津絵の「鯰瓢箪」は「要領を得ないこと、思慮の足りないこと」の意味があるという。もちろん、鯰は役人で、猫は役人を手玉にとる芸者。
《鼠を捕らえた猫》日本初出品
更紗の帛紗とは珍しい。猫を描いてから染めた?暁斎は茶白猫を描くことが多いので飼っていたのかな。
《猫又図》日本初出品 *写真撮影可
手拭いを被り、両手をあげ、片足をあげて踊る猫又ポーズは、歌川国芳の岡崎の化け猫に出てくる猫又にそっくりだが、暁斎の猫の方がふっくらして可愛い。石灯籠の上で踊っているのね。
「輪郭の外側に施した幾重もの隈取りによって、猫又が伸び縮みしているような、あるいは揺れているような怪しい動きを強調している。猫又の妖力によって、印章も逆さまになってしまった。」えーっ。
《石灯籠の上で寝る猫》日本初出品 *写真撮影可
この作品は、ゴールドマン氏が↑の作品を入手してまもなく。別ルートからコレクションに加わったという。踊り疲れた猫又が、妖力が解けて寝てしまったという連作のような作品。
《蝶と菊に猫》日本初出品 *写真撮影可
蝶と猫の語呂合わせで長寿、さらに菊も合わさっての吉祥画。金目の色に青を入れて印象強くしている。金泥の落款は特別注文の証。
《柳の木の上から蛙を狙う山猫》日本初出品 *写真撮影可
蛙はまだ気づいていない?
《蓮地白鷺図》
蓮は連、鷺は路、禄につながるので、「一路連科」試験の連続合格、立身出世を意味する吉祥画。表装が洒落ていた。
この白鷺の形態は狩野探幽の《飛鶴図》に倣う、とあった。そういえば、この鶴、元は中国文正(元・明代)に倣い、若冲も養信も模写したというものだったよね。
暁斎といえば、蛙、鴉、猫だが、そのほか、狸や狐、それに鴉天狗の雛がなんとも愛らしかった。
第3章 ひと
《万国人物記》日本初出品
暁斎が教科書の挿絵も担当していたというのは知らなかった!西洋人の観察も怠りなく。
《群盲評古図》《天狗たちの書画展観会》いずれも日本初出品 画像なし
《群盲評古図》は盲人たちが寄り集まって古画を鑑定している様子、《天狗たちの書画展観会》は、席画会で自分の作品に天狗になっている絵師たちを描く。文芸批判。
《月下骸骨宴会図》日本初出品
髑髏の宴会だから、扇や酒の肴まで骨だけ。月も痩せて三日月。
第4章 おに
《酒のツマミに鰹を準備する鬼》
酒好きだった暁斎、鬼は自画像?真剣に鰹を捌く様が可愛い
《鬼に酒肴図》
金棒の先には仕留めた雉。酒樽も持って仕事がえりのガテン系みたい
《大津絵夕立図》日本初出品
大津絵に出てくる鷹匠、藤娘、念仏の鬼が雨に降られて相合傘
《化物絵巻》(部分)日本初出品
完成品があるのか不明で、現存は下絵。武士が異界で妖怪に出会う物語。肋骨のトンネルを潜って異界へ行く。
《酒呑童子図絵》は有栖川宮家から依頼があったのだが、出来上がったものが怖いと受け取り拒否され、イソップ物語をあらためて描いたそうな。
第5章 かみ・ほとけ
《鍾馗騎象図》日本初出品
象も霊獣、それでも鍾馗が象に乗っている図は珍しい
《秋田蕗摺絵鍾馗図》日本初出品
「秋田蕗摺(あきたふきずり)」とは、巨大な「秋田蕗」の拓本、江戸時代後期から明治初めに商品化された。そこに鍾馗と鬼を描き込んだもの。
《大黒の傀儡師》日本初出品 画像なし
傀儡師とは人形遣いのこと。大黒が猫の人形を動かしたので、お付きのネズミたちはびっくり。
《鴉天狗像》日本初出品
自身のために作らせてずっと手元においていたという像。
第6章 版画
《鍾馗図》日本初出品
元治元年(1864)、初期の作品。真正面の鍾馗さまは珍しい。
《狸和尚》日本初出品
明治13〜22年(1880〜89)頃。暁斎の狸はどこか哀愁がある。
紹介したいものが多くて長くなってしまったが、それでも紹介しきれないね。
6月21日まで(前期は5月18日まで)
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