桜の開花に合わせて訪れたので、後期展示になってしまった。
「かのこぎたけしろう」と読む。府中市美術館に収蔵品が多いらしく、常設展示ではいつも何点かの展示がある。ドローイングが多かったが、これは有名な絵で何度も見ている。
《ショールをまとう女》
2度目のパリ留学、アカデミーでジャン゠ポール・ローランスに師事した時に書いたと思われるロマの女性だ。影の落ちた目、硬く結んだ口、大地に根ざして生きる力強い絵だ。
特に好きな画風ではないが、卓抜した技量の持ち主だということは知っていた。義母を描いたこの作品も以前ここ泉屋博古館で見ている。表情からは読み取れないが内面をも描いたいい作品だと思う。
《某未亡人の肖像》
ただ、日本近代洋画史を見る時、黒田清輝に代表される「外光派」が新しい潮流として重んじられて、黒田清輝の「白馬会」に対して、鹿子木が所属した「不同舎」は旧派とされて、近代洋画の傍流とされた。それでも鹿子木はフランス・アカデミスムに基づく写実や歴史画への探究を怠ることなく、自らの道を貫いたという。
最近の展覧会でも、鹿子木が師事した歴史画家ジャン=ポール・ローランスの名や鹿子木が学んだアカデミー・ジュリアンの名がよく登場する。近年見直されているのだろう。
泉屋博古館東京の外は桜が満開。正午になってビジネスマンが続々と出てきて花見をたのしんでた。
展覧会は通常の人入り。写真撮影は基本不可で1点のみOK。今回はホールも不可なので注意すべし。
https://sen-oku.or.jp/program/t_202601_kanokogi151/
近代の日本洋画に本格的な「写実」表現をもたらした鹿子木孟郎(かのこぎ・たけしろう、1874〜1941)の生誕151年を契機として、その足跡をたどる特別展です。鹿子木は現在の岡山市に生まれ、はじめ天彩学舎や不同舎で洋画の基礎を学び、1900年に米国経由でフランスへ留学しました。1918年まで都合3度にわたって留学したパリではフランス・アカデミスムの巨匠ジャン=ポール・ローランスからフランス古典派絵画の写実の薫陶を受け、ルネ・メナールに接して象徴主義の表現を学びました。帰国後は、関西美術院や太平洋画会、文部省美術展覧会の中心的な画家として活躍し、近代日本洋画の発展に確かな足跡を残しました。
本展は10代の初期作品からローランスに学んだ渡欧作、帰国後の文展や太平洋画会、関西美術院や家塾での活動を紹介しつつ、日本洋画における写実の展開と継承について検証します。
ホールには大作2点が向き合った形で展示されている
ジャン=ポール・ローランス《マルソー将軍の遺体の前のオーストリアの参謀たち》
鹿子木の師であるローランスの歴史画は、鹿子木が住友家から3度目のパリ留学費用を支援してもらう代わりに住友家に替わって交渉購入したという。鹿子木はローランスから群像画を学んだ。
鹿子木孟郎《《大正12年9月1日》
大震災の報を受けて、池田遙邨と共に京都からすぐさま東京に上京し、1ヶ月間写真やコンテでその様子を記録したという。断片的な記録を元に群像画に再構築。ローランスから学んだことが結実。
第1章 「不倒」に油画道への旅が始まった。
岡山時代、不同舎時代の鉛筆画を中心に展示。まったく画像が見つからなかったのが残念であるが、不同舎で学んだ「たんだ一本の線で描く」を実践、輪郭線の的確さと、構図を支える簡潔な線の美しさが際立っていて、《画塾》という作品でイーゼルに向かう画学生の姿は絶妙だった。
《津の停車場(春子)》明治31年
翌年結婚する春子の後ろ姿。機関車などを入れ、文明開化の新時代を描く。
第2章 タケシロウ、太平洋を渡ってパリまで行く。
明治33年、鹿子木は満谷国四郎らとともに渡米し、各地で展覧会を開催し、作品を売却しながらロンドン経由でパリへと向かう。この経緯は、吉田博の展覧会で知ったと思うが、吉田博も一緒だったのよね。アメリカでは日本人の絵が人気だったそうで、渡仏費用を稼げたらしい。
パリではアカデミー・ジュリアンに入り、ジャン=ポール・ローランスの教室で人体デッサンと油彩裸体写生に研鑽を積む。
解説に人物画の習作にはアカデミーとトローニーがある、とのこと。
前者は特定の様式や主題にしたがっての描写と理想化された表現でいわゆる肖像画を描く。後者は特定の人物ではなく表情や衣装、陰影を含んだ光の表現を追求するための習作で、歴史群像画を描く上で必要。
画像はないが、男性裸体画、女性裸体画のスケッチも展示。どっちがアカデミーかトローニーかよくわからなかったけれど。
《白衣の少女(原題:西洋少女)》
椅子に腰掛けた尻から足までの衣の裾の皺が黒一本で描かれている。「たんだ一本の線で描く」その上手さ。
《狐のショールをまとえる婦人》
アカデミックな写実的表現
《黄昏》
帰国後、現代風俗として労働者を描く。こちらはミレーの《晩鐘》を想起させる。
第3章 再び三たびのヨーロッパ。写実その先へ
明治39年〜41年再び渡仏。大正5年〜7年三たび渡仏。
ジャン=ポール・ローランスに師事。
ローランスは、劇的な主題を扱いながらも感情表現に流されず、構成と写実の積み重ねによって歴史の重みを表現する画家で、鹿子木もまた当時日本で主流となっていた印象派主義的表現に流されず、アカデミック表現を堅持した。
また3度目の渡仏では、象徴主義画家のエミール=ルネ・メナールにも師事。メナールは知らないなぁ。あまり日本で知られていないのかな?
ジャン=ポール・ローランス《イレーヌ》
平和を司る、ギリシャ神話の神エイレーネー
《ノルマンディーの浜》*撮影可
「鹿子木の滞欧作として記念的な意味を持つものとしてのみならず、フランス・アカデミズムの伝統的手法と写実力を踏まえて、西洋的なコンポジションに挑んだ近代日本洋画の金字塔ともいえる作品」と解説では絶賛。多くのスケッチ、秀作も展示してあり、部分デッサンと全体の組み方を何度も試作している跡がわかる。
私が群像画としてすごいなあと思ったのは、こちら《加茂の競馬》
寛治7(1093)年、天下泰平と五穀豊穣を祈って宮中で行われていた競馬会を上賀茂神社に移したことに始まる神事。初夏、ひなたと影のコントラストが強い中、神官たちの白い衣装と馬具の赤色の配置が絶妙。
《新婦人》
なんとなく思わせぶりな絵でしょう?またこの絵に会えて嬉しい。
じつはこの絵にはとんでもないスキャンダルがある。モデルは三井十一家の一つ室町家の当主三井高保の次女幸子。彼女は豪商鴻池家に嫁いだものの、使用人の男と駆け落ちしてしまう。幸子から完成品の受け取りを拒否されたため、鹿子木はこの作品をなんと第3回文展に平然と出品しまうのだ。身内の恥を官展でで晒されると慌てた三井家が買い取りと撤去を申し出るのだが、鹿子木は拒否したという。
椅子にもたれる仕草に色気を滲ませているが、手に持つは聖書、感情を抑えた面持ちだが、まっすぐな眼差しは何を問いかけているのだろう。
第4章 象徴主義の光を受けてー不倒の画家、構想の成熟。
《木の幹》
私が一番気に入った作品はこちら。実物は想像していたより小さく、びっくりした。木の幹の存在感がこの絵を大きく思わせているのだろう。
「不倒」というのは、鹿子木が自らつけた雅号。「倒れない」という意味を込めたこの号は、流行や評価の変転に左右されることなく、写実という一点を生涯にわたって貫いた鹿子木自身の姿勢を象徴している。
そしてチラシに用いられた作品《婦人像》
最後の展示室で、最も気になった作品《画家の妻》
横顔を描きかえたそうだが、1899年に結婚した妻春子だろう。23年が経ち中年となった妻の裸体。まさに写実。
もう1点気になった作品は絹にデトランプという手法で描かれた《婦人像》、西洋人である。美しいなぁ、と見入っていたら、福富太郎氏の愛蔵品であった、得心。
4月5日まで
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