9月7日土曜日、快晴。
朝7時起床。寝たのは午前1時だから少し寝足りない。
いつもどおりミルで珈琲豆をがりがり挽き、ドリップで珈琲を落とす。駆けつけ2杯の意珈琲。
今日は午前8時半に家を出て追悼集会に行くので、トーストと珈琲の簡易朝食だ。
昨日、朝ごはんの代用食としてカレーパンを買いにやや高級なスーパーに行ったら、美味しそうな食パンが入口近くで売られていた。安物のカレーパンより、オレンジ果汁とピールが入っている高級食パンのほうが味覚的にはよさげに思え、後者を買った。
「関東大震災時朝鮮人虐殺101年神奈川追悼会」は例年、横浜の久保山墓地で開催されている。東京の横網町公園で開かれる虐殺追悼集会と同じ意図・同じ規模の行事。
場所はJR保土ヶ谷駅からバスで10分の久保山墓地だが、距離的にはぎりぎり徒歩圏内。ただ往きは箱根駅伝5区のような急坂を登らなければいけない。
どうしようか迷った末。歩くことにした。
追悼会開始の10時より30分も前に着いてしまった。
始まる前、ラッパーのFUNIさんが一曲、開始待ちのみんなの前でラップを披露したのだが、言葉の巧みさと思想の深さがダイレクトに伝わって来た。もうこれだけで来てよかった、と思えた。
開会の辞のあと、主催グループによる「呼びかけ」があった。
本年は、虐殺された朝鮮人の名と殺された場所を読み上げる内容だ。いまいましいことに、名前も年齢もわからない朝鮮人が大半だ。
中区中村町、姓名不詳、土工、42歳くらい……〇〇郡鶴見〇町、姓名不詳、飴行商人、30歳くらい……。
延々と「名前のない名前」が読み上げられる。
私たち(有志)は理不尽にも殺されたあなた(たち)に本日、会いに来ました。ごめんなさい、と謝罪するために。
延々20分にわたっての「呼びかけ」の間、朝鮮人が日本人に追いかけ回され、掴まり、縄を掛けられて木に縛り付けられ、竹やりや鉈や日本刀で突つかれ刺され、幾人もの男から殴られて死んだ男たち女たちを想った。
その後、チョウファソンさんが追悼舞を演じられた。
近くで見ていて思った。
韓国は「怨」(ハン)の文化だと言われるけれど、ファソンさんの躍りに怨や怒りを読み取ることは難しく、哀悼の「哀」、かなしいの「哀」が最初から最後まで太い糸で貫かれているだけだった。
来賓(参加者)からのメッセージは福島みずほさんから。
彼女が偉いなぁ、と思ったのは、開催時刻の5分前から着席されていて、ここまで1時間いたこと(閉会までいらっしゃった)。
国会で政府に大虐殺の史実を認めよ、と質疑されたことにも感心したのだが、スピーチのなかでミラン・クンデラの希望ある叙述を引きつつ、「私はその教えを守って人生を闘っていきたい」などと、自身に向いて誓っていらっしゃったことに共感した。
ああ、まだ聞いたばかりなのに、クンデラの名言、忘れちゃった(笑)。
いよいよ閉会の時間となり、実行委員会の副代表が締めのあいさつを始めた。
ガッシャーン。
すごい音が近くで聞こえた。爆音に近い。
悲鳴があがった。
私から1メートルほど離れたところで、陶器の破片が散らばっていた。
誰かが外からすごい勢いで、花瓶か茶碗かを投げたのだろう。
私が腰を半分掛けていた鉄柵にその陶器が当たり、割れたのだった。
犯人はすぐ、集会参加者が取り押さえたようだった。
20代の真ん中くらい、175センチ、Tシャツ。
男のそばで、「今やってる集会がなにかを知ってて、そんな暴力を振る舞ったのか?」「動機はなんだ?」などと質問を浴びせ掛けている。
警察が来るまでの15分、男はぽつりぽつりと語っていた。
思想犯ではない、音がうるさいから頭に来ただけだ、というような受け答えだった。
パトカーに乗せられて連行されたので、明日の新聞で詳細がわかるかもしれない。
男の顏を見ていて、返答も聞いていて、この男に対し怒りは湧かなかった。ウヨクとか暴力気質とかからは遠いように見えるし、知能が劣っているとも感じないし、得体の知れなさがあるのだがその得体が意外と柔軟であるように思えた。
自分が彼の年齢の頃は、世間知や判断力が高かったがゆえにこんな愚行をおかさなかっただけで、彼の不健全さを自分も有していたような気がする。1メートル先に、粗暴な実行犯がいる。が、彼は私の一部が拡大したでくのぼうじゃないのか?
とても印象深い集会となった。
帰りも保土ケ谷駅まで歩いた。下りは下りで結構脚に来て、駅に着いたら膝がガクガク状態。で、正午を15分過ぎたランチタイム、浮いたバス代で「松屋」の牛丼を食べた。不味いなあ、と思う。が、こんなに不味い食でもOKなのは、ぎりぎり健康であるという証左だと考えよう(笑)。
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