昨日、うちから400メートルのお宅に銀杏をお持ちした。季節の恵みを感じていただいているらしく、喜んでくださる。お返しに杏子の手作りジャムをいただいてしまった。結果的には海老で鯛を釣ってしまって申し訳ない。
銀杏はともかくとして落葉が半端ない。落葉寺のお堂とその周りを竹ぼうきでささっと掃いて落葉を手づかみで巨大ちり取りに入れ、山へ捨てに行った。掃除をしたからといって秋から初冬はわずか1日2日で元の木阿弥になる。だから何の意味もないと言えばそれまでなのだが、人間の営みも高所から見てみたらそれほど意味がないという虚無感も生じる。ゆえに、たとえ一見ナンセンスな掃除であっても意義深い営為であると言える。
結果より過程が重要なのではないか?
こう思えるようになったのは会社勤めを止めたあとだ。おそらく世俗的な価値観から脱したのかこぼれ落ちたのか、この世で価値があるとされている属性、たとえばお金とか地位とか利発さとかといったものだが、そういうものが自分の中ではあまり重要ではないんじゃないかと思い始めている。完全に無価値だと悟ってしまったら悟りの境地であるが、仏様でもあるまいし解脱なんてできっこないのが人間である。
夕方、高校の友人に電話をした。上京して私と会食、のはずが飛行機搭乗当日、体調不良でかなわなくなって落胆していたので、気になっていた。
政府の全国旅行支援策が昨日11日から始まった。先週からテレビのメインニュースはこればっかで、国民あげてはしゃぎまくっている。世俗がイヤになったと言いつつ、私も2、3の旅行ネットサイトを見て、「彼が上京できないくらいの体調不良なら、逆にぼくが高松まで飛行機で行けばいいかも。この際、宿泊割引きを利用して」などと夢想した。
そのことを電話で彼に告げると、「今、マイルが溜まっているので、11月にもう一回東京行きにチャレンジするよ」と空元気な声で返された。
ちょっと夢が萎んだ。
自分のシミュレーションとしては1泊目は高松のビジホに泊まって友人と晩メシを楽しむ。翌日は徳島と香川と高知の県境に位置する祖谷峡に向かい、まずは阿波池田の駅前にある安ビジホを拠点に、祖谷エリアを縦横無尽に歩く回ろうと想ったのだった。高校2年の2月、祖谷から徳島県側に向かって無謀な冬山登山をした。その初日にテントを張った営巣地を見つけ出したい。記憶ではおどろおどろしい部落で、事実、私を含む3人の不良は「さっき通った一角は表札がどこも同じやん」「俺、顔が真っ白の女の子見たわ」(これ、私の驚き)「我々、山に登る前に襲われて死ぬんとちゃうか」などなど、とにかく恐怖心に煽られた。
東京大阪といった繁栄圏は50年前と較べて大きく発展したが、当時から過疎の村なんてもはや限界集落でさえない誰一人住んでいない村になっている可能性がある。行って確かめて見たい。
友人にそういう妄想を話したら、「11月はじめまでやろな。それ過ぎたら寒うて歩けないぞ」と笑って流された。
ともあれ、彼はあらためて上京計画をたてていて、鎌倉まで行くと言っていたので、私としては楽しみだ。
本日は午前中、予約本を取りに図書館へ行った。帰りに肉屋に寄って合い挽きミンチをしこたま買った。妻が旅行に出掛けちゃったので、昨日からシングルライフ。今夜はキーマカレーを作る。各種スパイスは十分過ぎるほど揃っているし、玉ねぎや人参やトマトにはあるしで、自分の口に合ったカレーを作るのはワクワクする。昼はブロッコリーとベーコンのペペロンチーノを作って食べたのだが、よそ見をしているうちにニンニクが焦げてしまってほろ苦くなってしまうミスをした。火加減ってわずか5秒か10秒の長短で失敗するものだ。プロの料理人って集中力が並外れていい、ってことを思い知らされた。
今夜、マリノスが優勝するかどうか……。
夜のお楽しみだ。
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