週の初めを日曜日とするか月曜日とするか、というのはその人次第の感覚だろうが、私の場合は月曜始まりである。
日曜朝午前9時前にテレビをつけるのが長らくの習慣だ。NHK教育の「日曜美術館」から一週間がスタートする。実際はこの1時間番組の前にアウトサイダーアート(たいていは知的障がい者の美術)を紹介する「No Art,NoLife」という5分間番組があって、毎回、見ている。ダイバーシティと言うと大袈裟かもしれないけれど、自身のともすれば固定しがちな精神構造をほぐすエクササイズとして、このミニ番組こそ私には必須なように思われる。
話は2週間前に遡る。6月17日の金曜夕方、いきなりテレビが映らなくなった。2010年当時、亀山モデルで名を馳せたシャープのクワトロン・テレビで、3原色を4原色に増やして質感を和らげ、肌の透明感なんて言われる繊細な再現を図ったフラッグシップ・モデルだった。偉そうな謳い文句の割に、12年で壞れるのね。
電源さえ入らなくなったテレビにさっさと見切りをつけ、それから2時間後、駅前の家電量販店ノジマへ行った。各社のテレビが並べられた一郭で、サイズ、色の違いや映像の滑らかさなどを閉店までチェックした。40分くらいだったと思う。
ソニーと韓国のLG、この2メーカーに惹かれた。反対に明らかに劣っていたのは東芝で、自宅に戻って調べてみたら、とうの昔にブランドと技術を中国メーカーへ売り飛ばしていたのね。
ネットでにわか知識を得、値段も調べた。で、その日の午前零時、LGのテレビを選び、4Kテレビで有機ディスプレイではない下から2番目のグレードを選び、さっさとノジマ・オンラインでポチった。
テレビは6月19日に届いた。それまで46インチだったディスプレイが、今回は43インチへ。それには理由があって、大型テレビの場合、たとえばJリーグの試合結果が映し出されると、全体を捉えてから各試合の勝ち負けを見るために焦点を合わせる速度が鈍くて、全結果を把握できないうちに画面が次へと進むのである。これは目(の視界領域)と頭が悪いからだ。この際、いろんな意味でダウンサイジングをしたい、という考えもあって、少し小さくしてみた。
結果、見やすくなった。私が購入したテレビは人工知能によって2Kの地デジを疑似4Kにしたり、音をサラウンドにしてみたりで、驚きに近い感動を持てた。
日本ブランドのテレビでも安価なグレードは、メイドインチャイナだろう。それを思うと、メイドインコリアのほうがいい。ロシアも中国も共産主義国だとされていて、サヨクな私とは相性がいいはずなのだが、本来は理想的な国家体制であるはずの共産主義をここまで貶めてしまった罪のせいで、私としては出来れば関わりを小さくしたいのだった。
今日の「日曜美術館」は現代の超絶技巧がテーマだった。細部まで映し出され画面を好ましく見つつ、美術家の完全主義的な美的感覚と、作品を仕上げるまでに要する何カ月、何年間にも亘る長い作業期間に圧倒された。人間の能力ってすごい!
(司会の小野さん、今日はいったい何回、”すごい”という言葉を使ったのか。数えたわけではないけれど、7回くらい連発してた)
メインで使っているパソコン(iMac)はテレビと違って壞れたワケじゃないけど、6月28日に買い替えた。まだ5日目だ。こちらもサイズがダウンサイジングとなって、27インチが21.5インチに。27インチに向きあっていると、たとえばFEPの状態を示すメニューバーのアイコンが今、日本語モードなのか英語モードなのか、視線を移さないと見えない。テキストが中心の作業なので、この程度のiMacで十分かと。寝室にはMacbookProとChromebookを置いていて、メールチェックとかネットでYouTubeなんてことは、たいていこちらの2台でやっている。雑誌と電子書籍の閲覧用にはタブレットも使ってる。電子書籍に対しては相変わらずリアル本より一段低い、という見方を変えられないでいるのだが、それでも時と場合に応じて電子書籍でも読む。Kindleの読み放題サブスクに入っているので、書店では買わない本を開く。たとえばこの2カ月、横浜の今昔を描いたノンフィクションを探しては片っ端から読んでいる。読み終わった時点でタイトルも忘れているくらいの軽い読書だが、これはこれで悪くない。というのも、読後、電子本で心に遺った歴史や街並みを元に、2度ほど街歩きをしたからだ。電子本にしてもテレビのような映像であっても、エモーショナルな訴求はあると言えばある。
久しぶりにmixi日記を書いてみた。
休んでいる間、いろんなことがあった。今の時点から過去に遡って順々に書き始めたら、永遠にネタは尽きないだろう。子どもがお母さんに「今日はこんなことがあった」と話し始めたら終わらないようなもんだ。
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