今、ラズリと一緒の散歩から帰ってきたところだ。
家から直線距離で400メートルのところに大正もしくは昭和初期に建てられた和洋折衷の二階家がある。そこは「内藤医院」、と言ってもわかる人はいないが、内藤洋子の実家と言えば、60歳以上のかたなら、面食いの若者を魅了したあの女優の家かと思うことだろう。
かれこれ1年ほど前、かつては診察室だった出窓に「監理物件」という無粋な文字と不動産屋名が記された紙が貼られた。その家は診療所が閉鎖されたあと、内藤洋子の妹さんである圭子さんがお一人が住んでおられ、かつて私は2回ばかりお邪魔したことがあった。
先ほど「内藤医院」前を通ったら、目の前で業者の車が家の駐車場に停まり、エンジンを付けっぱなしで家の中に入って行った。主のいなくなった家が夕陽を浴びて朱に染まっているのだが、カーテン一つない窓を見ていると侘しい。
たまたまiPhoneを持っていたので、写真を撮ろう。
構えると、業者の若い男が家から出て来たので、尋ねてみた。
「この家、壊すんですか?」
作業着姿の男は答えた。「いったん更地にして、建て替えるみたいですね」
やはりそうか。業者はすぐに車に乗り込んで、去って行った。これで車で邪魔されない家の全景が撮れる。
ふたたびiPhoneを持って構えようとしたところに、一人のおばあさんがラズリを見て、近寄ってきた。
「まあ、なんてふわふわで可愛らしい犬だこと! じっとしてて偉いわね」
散歩中、こういった会話をよく投げかけられるので、適当に対応し、またiPhoneを手に持ちながら「この家、取り壊されるそうですよ」などとおばあさんではなく家のほうに向いてつぶやいた。
「やっぱりそうなの、寂しいわね。私、すぐ近くに住んでいるの。もう……今78歳だから、ここに来て40年以上住んでることになるわね。21歳からこちらに出てきたの、長崎から」
と、具体的な話をし始めたので、写真撮影をやめておばあさんに向きあった。
「ぼくもまあまあ近所の者です。こうして古い建物が一軒、また一軒と消えていくのがせつなくてね」
「私、内藤先生に何回か診察をしてもらったことがあるのよ。とてもユーモアのあるいい先生だったわ」
こんなふうに会話が進展して行き、彼女は自分語りを始めた。
長崎といっても五島列島が実家で、島のいちばん先端にある海に面した小さな村で育った。昭和17年に満州で生まれ、戰後の引き上げ者であるとのこと。
家のすぐ前が海なので、子供のころは家からパンツ一枚で飛び出して遊んだ。
その実家はとっくの昔に空き家となってしまったが、親戚は住んでくれないし、ただであげると言ってももらってくれる人もいない。
満州にいたのは3歳までだが、ロシア兵が来たことはいまだ忘れられない。
私は軽く相槌を打ちながら、不意に沢木耕太郎ならこういう場合、どう答え、どう動くのだろうなどと想った。
私は可能な限り、人と関わりたくない。が、他方で、話を引き出しながら、相手も受け手(私)も愉しむことがこういう会話での要ではないか。
時間にしたら20分くらいだろうと思う。
私は自分の名字を名乗ったら、おばあさんは「私、あのアパートに住んでるんですよ、ずっとね」と指差す。で、一緒にそのアパート前まで行ったのだが、それはアパートには見えず、これまで一軒家だと思っていた。鎌倉にはこのような不思議の陋屋が結構ある。
Y田という名字と部屋番号を教えてもらった。
「今度、こちらを散歩するとき、ぼくの名前を書いたハガキを郵便受けに入れておきますね」と言って、私はその場を去った。
五島列島の福江島かあ、無性に行ってみたくなった。
ログインしてコメントを確認・投稿する