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2018年11月29日20:52

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武田鉄矢をディスする

 最初に申し上げておきます。
 武田鉄矢が好きな人はこの日記を読まないでください。
 
 昨日ブックオフで買った無名人の自分史本(自費出版、2001年刊)を朝から読んでいた。1922年に樺太で生まれ、一高、東大と進んだところで学徒出陣し、マレーシアで終戦。英軍の捕虜となって2年間抑留生活をしたのち帰国した男性の手記だ。
 1922年は大正11年、父と同じ年の生まれだ。書名は『樺太からクアランプールまで』で、ちなみに旅行本の棚で見つけた。本文は「紀行」とは言い難く、歴史本の棚にあるべき内容だ。ブックオフではタイトルと帯、目次を見て、直感で判断するのだが、しばし立ち読みをして内容に納得してから買った。戦闘機メーカーに入社して軍隊&戦地知らずの父と違って、ドラマティックとも言える体験が綴られているので、興味深く読むことが出来た。
 正午のニュース、さらに夕方の民放のニュースで、俳優の赤城春恵さんご逝去の報があった。そこで、武田鉄矢なる珍奇にして陳腐なタレントの顔を見さされ、非常に気分が悪くなった。どうして私が身震いするほど武田鉄矢を嫌っているのかは、のちほど詳述する。
 今年4月のゴールデンウィーク中に、図書館へ行った。「文藝」夏季号に中原昌也の短編が載っていて、小説とは無関係にいきなり中原が個人的に武田鉄矢を罵りまくる記述が出て来て、二重の意味で驚いた。小説の合間に、普段から思い募っている恨みつらみを語っていいものか、という戸惑いと、世の中には私と同じように武田鉄矢を毛嫌いしているひとがいるもんだ、それがかの中原昌也だったのか、と。
 いい作品を読ませていただきました(笑)!
 それからしばらく経った頃、ネットニュース「リテラ」に、<武田鉄矢に中原昌也が小説で面白すぎる罵倒! 背景に武田のネトウヨ化、安倍応援団化への嫌悪感?>をいうタイトルの記事が掲載されて、さらに私は大喜びをしたのだった(https://lite-ra.com/2018/05/post-3995.html)。
 
武田鉄矢といえば、このところ、ネトウヨ化、安倍応援団化がめざましい芸能人だ。ラジオなどで「中韓に対していくらおわびしても同じじゃないか」とか「韓国の恨の思想がすごい」とか、嫌韓・嫌中本を肯定的に紹介したり、韓国や中国に対するヘイトを撒き散らしたりしている。
(後略)
 
 そしてくだんの中原昌也の短編をひいて、〈私は芸能人の武田鉄矢という男に対して、相当な偏見を持っており、直接何かされたわけでもないのに印象はとてつもなく強烈に悪い。あの男の声を聞くのも不快なので、テレビに登場すれば、即チャンネルを変える〉という主張を「リテラ」は掲載していた。
 なぜに私は武田鉄矢が嫌いなのか、今日の朝日・夕刊を読んでいてその発端というか本質的な理由が垣間見えた。
 木曜日の夕刊には三谷幸喜の連載エッセイ「ありふれた生活」が載っている。今日の話は「動く歩道」についてであり、三谷はのろくさとしか進まない動く歩道に乗っていて、ふと衝動が起きた、「逆走してみたい」。
 日曜日の夜遅くで幸い、動く歩道には誰もいない。
「どう考えても五十七歳の男がやることではない」
 結局、やらなかったと三谷は書いている。
 これは事実であって事実ではないであろう。いつだって三谷は面白いことを考えている。あるいは面白いことをやらかしてひとを笑わせたいと思っている。
 三谷には常に、馥郁たるユーモアがある。
 で、武田鉄矢にはこれが一欠片とて、ないのである。
 そして、ユーモア=知性がないから、無闇矢鱈に説教をするのである。それも長々と繰り返し繰り返し。
 私は幸いなことに一度も見たことがないのだが、武田鉄矢が教師役の「金八先生」というドラマが好評を博して長々と続いた。武田鉄矢のような単細胞の人間にはありがちなのだが、ドラマの役があたかも現実になってしまって、自己暗示に掛かったかのごとく、その役が乗り移っているという役者がたまにいる。名前を挙げると反発を食いそうだが、織田某とか福山某などもその類いであろう。ドラマで天才役を演じたら自分が天才だと錯覚していたりする。とまれ、武田は熱血教師を演じただけなのに、ドラマと現実の区別がついていない。だから、誰彼かまわず長々と説教をするんである。アンタ、業界でも評判悪いよ(笑)。
 中原昌也以外でも、武田鉄矢を徹頭徹尾、嫌っている書き手がいる。
 たとえば亡くなられたナンシー関さんだ。
 そして武田砂鉄もおそらく武田鉄矢を嫌っているはずだ。彼のネット誌エッセイにこんな一文があった。

この度、まったく光栄なことにナンシー関のベスト選集の編者を務めることになり(『ナンシー関の耳大全77』朝日文庫)、「週刊朝日」に連載していた450本分の原稿を読み返して改めてうっとりしたのは、冒頭からトップスピードで相手に向かう強度。具体例をあげれば、武田鉄矢について「武田鉄矢が人気者であると思うたび、私は日本という国が嫌になる。武田鉄矢を受け入れるというのが日本人の国民性だとするなら、私は日本人をやめたいと思う」と畳み掛ける書き出し。武田鉄矢の名前を出して、私は日本人をやめたいと思う、に至るまでのスピード感は、そもそも武田鉄矢と日本を対比させる必要があるのかと考える時間すら与えない。こうして芸能人について毎週書いていると、ナンシー関のエピゴーネンなどと野次られることもあるが、そもそもこちらとしては「ナンシー関を尊敬してやまないからこそ、エピゴーネンと呼ばれることすらはばかられる」(拙著『芸能人寛容論』あとがきより)と記した通り。その思いを新たにする。
                    (cekes 2018年8月8日)

 それにしてもナンシーさん、すごいな。週刊朝日の連載コラムであろうが、日本人やめたいだなんて。あらためてナンシーさんの文庫を読みたくなった。
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