今日から大相撲五月場所が始まるようだが、土俵女人禁制なる伝統はさておくも心肺蘇生を試みる女性を「威嚇」「排除」したニュース映像を見て、なるたけ相撲は見ないことに決めた。戦争賛美画家・横山大観や藤田嗣治らの絵を見たくないのと同じ嫌悪感だ。たぶんこの一件で私のような方針を決めた日本人は、少なくとも100人くらいいると思う。
10日木曜日、ガソリンを入れがてらGSに行って、少しクルマを動かしたくて、市内の外れにある靴屋とブックオフに行った。お目当てのキャンパスシューズは決断がつかずに見送ったが、ブックオフの家具コーナーでビックリするような椅子が目に入った。
座面は30センチ四方の正方形で、座高は23センチ。そして色がこの1月に買ったパイオニアのミニコンポとほぼ同じミントグリーンだった。本を読んだり音楽を聴くときは、ソファーの上か、フローリングの床に直座りか、ごくオーソドックスな木の椅子に座るかの3通りだったが、3歳児が座るにふさわしいようなミニ椅子があってもいい。なにより素人が塗ったようなペンキが、コンポと同色ゆえ、まるでこちらから依頼して作ってもらったような椅子だった。値札を見る前に「買い」と即決。
家に帰って、カフェテーブルのそばに置いてみた。椅子に座ってコンポでCDを流して一曲聴いた。姿勢をまっすぐにしないといけないが、難しい本を読むにはいい椅子かもしれない。
蹴飛ばして床を移動させてもフローリングが傷つかないよう、四脚の底にフエルト状の部厚い布を貼った。セメダインが乾く20分ほど、外に出して、椅子を濡れ雑巾できれいに拭いて日干しした。思いがけない椅子に出会えて嬉しい限り。
同日、ブックオフで買った岩波現代文庫『たとえ病むとも』(重兼芳子著)を3日後の今朝、読み終えた。癌宣告を受けた芥川賞作家、闘病2年半の記録、絶筆という作品だ。これも偶然と言えば偶然の出会いだった。背表紙のタイトルを見て手に取ってみたのだが、それは仲のいい退職仲間がガンで闘病中だからだ。文庫をぱらぱらと繰ってみると、余命とどう向きあえばいいのかという命題を中心とする人生論のようで、友だちの気持ちを理解する一助になる内容だと思えた。そして、背中を押してくれたのは2箇所の書き込みだった。筆跡と内容からすると、1930〜35年生まれの女性だと推測出来た。小さな字で書かれたメモは、並べてみると、まるで一篇の詩のようだった。
買ったばかりの椅子の上で読み終えた。著者はキリスト者ゆえ、死生論では有利な教養が既にある。友人はもとより私も、なかなか彼女のように冷静な死は迎えられまい。
明日、その友人と会うので、渡してあげようか?
いや、重兼さんは医師の告知どおりに亡くなってしまったのだから、このようなおせっかいはタブーな行為になるのか?
今日は午後2時あたりからどんどん外が暗くなり、やがて雨が落ちてきた。部屋が暗い。
沈んだ気分になって、金子光晴詩集『女たちへのいたみうた』を読むともなく読んだ。いろんな詩集からのアンソロジーで、解説が高橋源一郎と小池真理子という普通の編集ならあり得ない2人体制で、この二人の金子光晴讃歌を読むだけで文庫としての価値がある。ブックオフ108円棚の集英社文庫だが、10年後には希少価値が出る本かもしれない。
詩を読んでてきぱきと理解するのは難しい。自分は和歌を含む韻文の類が苦手で、意味を掴んでいく手応えというのがほとんどないため、すぐに飽きてしまう。まあ解説をじっくりと読んだからこれでいいとするか。
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