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2018年03月07日21:19

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日本のために頑張ってください(北見市長)

 夕方テレビ朝日のニュースを見ていて、一瞬、いやな気持ちになった。
 銅メダルを獲得したカーリング女子チームが地元に戻って北見市長を表敬訪問した。市長が感極まって泣くのはともかく、「日本のために頑張ってください」と選手を激励し、「……ちょっとこれ以上は……」と言葉を詰まらせるシーンが流れた。
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000122362.html
 五輪では日本の選手を応援し、メダルの獲得が決まったらそのたびに私は快哉を叫んでいた。が、過熱報道でアスリートの活躍が自国の権威に紐付けされると、途端にシラケた気分になった。カーリングは日本代表(扱い)だから、「日本のために頑張って」というのは許される範囲ではあろう。が、個人的には、公の場で公人がスポーツに対して国家を持ち出すのは、慎むべきだと思う。戦後から90年代初頭まで、ソ連や東ドイツの「ステート・アマ」に対して、日本も欧米も批判的ないし冷ややかであったのは記憶に新しい。スポーツは国の威信をかけておこなうものではない、というのは五輪憲章の中でも謳われているし、国別の獲得メダル数ランキングを報道しないようにという規定があるくらいだ。
 日本は毎日1ミリずつ、ゆっくりゆっくりと全体主義国家へと向かっている。
 五・一五事件で青年将校が「自己即日本の信念を全日本国民に徹底させる」という持論を軍法会議で述べたという。今日の朝日夕刊の連載記事に載っていた。個人は国家(の臣民)である、と思考がふたたび日本で甦ってきた。私は全体主義や軍国主義という風潮に対して敏感肌ゆえ、おちおちテレビも見られなくなってきた。昨日なんてFMヨコハマを聴きながらネットでお気に入りのブログを読んでいたら、番組内の1分ほどのニュースで北朝鮮と韓国の首脳会談が終了したとアナウンサーが読み終わった瞬間、DJが「ふふーん」と嘲笑したので、そこでラジオ聴取を止めた。しかし、世論ではこれが当たり前と受け止められている。私も受け容れるべきなのか。
 キチガイが「狂っているのはオレではなく社会だ」とわめくのはブンガクの定番であるのだが、私の気持ちはほぼこれに近い。
 平昌オリンピックが始まって2日くらい経った頃、図書館から借りていた柳美里の最新エッセイ集『国家への道順』を読んだ。まえがきに「私はオリンピックが嫌いだ。絶対に見ない」と書いていて、在日韓国人のデラシネ性と苦悩をきつい調子で吐露していた。自身に民族的な自己喪失などまったくないのにもかかわらず、読んでいる間、私は日本人より在日韓国人に肩入れをしていた。その理由は簡単だ。平均的な日本人より柳美里のほうが、より繊細で賢明だから。もう少し厳しいことを言うと、賄賂と不正入学斡旋くらいで大統領が逮捕・起訴され懲役45年という求刑をした隣国より、この国のほうが非民主主義的だと思っているから。この国はどこまで右傾化するのだろう? さらに経済や福祉や教育はどこまで落ちていくのだろう? 落ちたところで自分の生活にはなんらさし支えない、というのが大前提なので、私の懸念と主張こそが純粋な愛国心であり真の愛国者だと
思う。 
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