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2018年03月01日01:03

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確定申告をした夜に

 午前中、確定申告をしに税務署へ。
 20分ほど待ってようやく相談係員」から細かな「個別指導」をしてもらう順番が来て、持参した書類を見せて簡単な手続き法を教わる。で、さらに待つこと20分。申告書類作成パソコンに案内され、さらに詳しい書き方を伝授してもらう。この時、医療費控除用に保存していた領収書の束を家に置き忘れたことに気づいたが、還付金に関係しないようだったので、家に取りに帰ることもせず、言われたように作成して終了。
 帰りに市役所に寄って、堆肥をレジ袋一枚分いただく。今年はバケツ畑をもう2個分増やして、プチトマトを自給するつもり。
 自宅に戻ったら、元庭師が私の帰りを待ち受けていた。87歳を迎える彼にとって私はかっこうの話し相手らしい。毎回、問わず語りに昔の話を繰り返す。心理学と社会学で習ったラポールの技術で、話を聞いているのを表情で示しながらとなずくことだけに留め、聞き役に徹する。今日の彼は戦争直後のあれこれを30分ほど話した。終戦後3年経って、南方から復員兵が突如戻ってきたこと。家族の元には終戦直後、戦死通知が届いていたため、家族もご近所も全員がびっくり仰天したこと……。
 一通り話が終わったところで、「ソ連や満州の兵ではそういう復員兵が大勢いたと習いましたが、南の戦線でも同じような兵隊がいたんですね?」と口を開いたら、また話が戦争のエピソードになった。沖縄戦で九死に一生を得た復員兵が1年後、帰還したという話だった。元庭師は1945年が14歳か15歳だから、歳を取った今、鮮明に記憶されている過去というのが昭和20年代なのだろう。
 
 夕方、いつものようにラズリと散歩に出かける。
 遠回りをして駅近くまで行き、遠回りでうちに帰るコース。途中で知り合いの衣料品店に寄ると、店主が私の顔を見るなり、両手を広げるような仕草で話しかけてきた。
 昨日、年金事務所に行って手続きをし、ようやく念願の年金が受け取れることになった、と。彼は推定70歳で、保険は15年くらいで止めてしまった。要は、会社を早期退職したあとは国民年金に加入しないままだった。昨年、年金制度の改変があって、これまでは30年以上の被保険者でないと支給されなかったのが10年以上の人には支払いますよ、と変わった。それに該当する者が店主だったわけだ。
「もう、ホント、よーーやく、受け取れることがぁ、決まってぇ、ほーぉっとしたよ〜」と破顔一笑で喜んでいる姿を見ると、こちらまで嬉しくなって、肩に手を置いて「よかったよかった!」と相槌を打った。が、ちょっと考えてみると、掛け金を払っているんだから、それが30年に満たずとも、応分に支払われるべきである。これまでよく暴動が起きなかったものだというくらいの、ヤクザ的な制度だ。支払われて当たり前ではないか。
 この件で30分ほど立ち話をしたのだが、彼が言うには「結局のところ、国の生活保護対策じゃないか。貧困老人はどんどん増え続ける。が、国は福祉に金をかける気などさらさらない。ぼくは再来月から月〇万円をもらえることになったが、はっきり言って生活保護費のほうが金額多いもん。ただこれからはその生活保護の審査がもっともっときつくなって、下流老人は死ねということだろう」と。そだねー(笑)。
 うちに帰ってテレ朝のニュースをつけたら、企画モノで「夫の死で年金が半分に」というまさに下流老人特集をやっていた。新潟県柏崎市に住む女性は月12万円の年金があったのに夫が亡くなって支給額が6万円となり、その範囲で生活を切り盛りしている様子が映し出されていた。近くにいる住民もそんな貧困老人が多く、自分で野菜を育てたり、山菜を採って塩漬けにしたりして、食費を切り詰め、質素倹約に努めている。東京の同じ独居老女も取材を受けていて似たり寄ったりだったのだが、慘めだなと思えたのは食料がコープの宅配だったり、近くに友人がいないような雰囲気で、おちぶれ感が漂っていたことだ、田舎然とした家の茶の間で、近隣の年寄りが手料理を持ち寄って夕飯にしたり、毎日のようの誰かの家に上がり込んでお茶を飲むという風景は、貧乏くさいという以前に昔ながらの素朴な暮らしで、この人たちってそもそもお金頼みの生活観ということに乏しそうなのだ。自家製大根の漬物とか、手作りのいなり寿司とか、根菜類の煮物だとか、それ自体ビンボー臭く見えない。
 お金を使わないと生活の質が落ちる、というのは都会暮らし者の法則だ。
 話が順序逆になるけれど、散歩帰りの途上で2人の人と話をした。
 一人は犬友だちで、彼も私より上の70歳くらい。
 向こうから、「今夜から明日の朝、荒れるんだって? 今年初の波乗りに行こうって思ってんだ」と話しかけられた。
「気をつけてよ。私はサーフィンなんかしないけど、海が荒れたら、ワカメが海岸に漂着するから採りに行こうかな」というと、彼はワカメが取れるポイントを1つ教えてくれた。
「由比ヶ浜のワカメって、漁師に直で聞いてみたら、海岸に流れ着いたワカメは拾ってOK!だと言ってた」と私が言うと、「材木座では、専用棒を使って採ったらダメで水の中に多少浸かって採るのはいいってさ」などと情報交換になる。さらに「アサリが取れる浜があってさ。面白いんだぜ、熊手を使って採るのはダメで、分厚い靴で掘り返して採るのはいいんだよ」と微妙な話を面白がってする。
「味噌汁用に6個、天然アサリを採って来てよ」と頼んで、その場を別れた。
 うちに近づいたら、数軒先の住人から「そろそろ夏みかんの収穫時期なの。リスに食べ尽くされる前に、取りに来てください」と頼まれる。足腰が弱って、上のほうの夏みかんを収穫するのがしんどくなったそうだ。
 私はこのノーワックス・無農薬無肥料の夏柑でマーマレードを作り、夏みかんスカッシュ(果汁をしぼって三ツ矢サイダーで割るだけ)を飲むのを趣味にしている。
 今回は食べ物ばかりの話になってしまったが、東京のテレビが作る鎌倉が舞台の映画やドラマというのは、出て来るひと出て来るひとが自然体といえば言い過ぎだが天然生活者で、地域住民の繋がりが密接で、そこかしこに鎮守の杜とか板塀の日本家屋があって、人生の楽園みたいな描き方になっている。疲れた都会人が妄想半分で好き勝手に美化する文化都市というイメージは、大半の住民同士が「うそつけ、こんなドラマ」と嗤っているのだが、鎌倉という地に足をつけた生活を実際みなさん、やっていらしゃるのも事実だ。季節の移り変わりや花や旬の食材が生活に密着している。毎週、毎日、やれシャガの花が開き始めただの、ノウゼンカズラが満開になっただの、タケノコが出始めただの、生しらすがどこそこ丸で上がり始めただの、週に3回とテレビロケのそばを通りかかっただのと、あちらこちらで地元のベタなニュースが交わされている。時間の流れや支配的な文化が都会とは隔たりがあるようで、住民の「ファンタジー率」=浮世離れした性格は間違いなく高い。 
 鎌倉生活は、楽しみをお金で買うしかできない都会生活者とかなり価値観が違うため、今日テレビで見た田舎に比較的近い安穏な暮らしが出来る。
 東京や大阪の下流老人は、今のところ数が少ないから、どうしても過疎化した田舎にスポットをあてるような上から目線の貧困者特集になってしまうが、この先5年10年後はこれまで豊かだった分だけ、落差がきついはずだ。
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