正午、予約時間が来たので歯医者に向かった。家を出る30分前から気が重い。
(借りている)駐車場で自分のクルマをちらっと見てから、隣接しているM邸の玄関口をしばし眺めた。ご主人が12月に亡くなっていたという報を知り、数秒間、黙禱をする。
たぶん11月の終わりだったと思う。駅近くの道を歩いていると、自転車に乗っているMさんとすれ違った。その時は矍鑠とした様子だったので、訃報はにわかに信じられない。
駐車場でクルマに乗り込む際、しばしばMさんは玄関先でおいしそうにタバコを吸っていた。彼が喫煙しているときは話し掛けた。
「そのお歳までタバコを吸えるなんてマーベラスですね」
「ええ、老い先短い歳ですから、タバコの害なんてもう怖くありません」
こんな一往復で話は終わる。当たり障りのない挨拶程度の会話だ。
確か80歳を超えていらっしゃるのだが、きれいな造りの顔と穏やかな表情が印象的で、私は彼の淡々とした喫煙姿を見るたび俳優の笠智衆を想起していた。
去年の夏の朝、剪定ゴミの回収前に駐車場の草むしりをしていたら、Mさんがビニール袋を差し出してくれたことがあった。持参したビニール袋が雑草でいっぱいになっていたので、それを見て気を利かせてくれたのだった。その時も「ありがとうございました」程度の会話で終わった。
Mさんが本当に亡くなられたとしたら、哀しさよりもじんわりとしたなつかしさを覚える。珍しいほどにいい雰囲気のあるかただったな。
夕刊の第5面、大竹しのぶの連載エッセイで共感。
仕事から帰った深夜、偶然にリオ五輪出場をかけたサッカーU23選手権を彼女は見た。大竹はサッカーにあまり詳しくないそうだ。
0対0で前後半が終わった。
延長前半6分、日本が1点をとった。
<凄い、勝てるかもしれない。
「行け、行け」
声に出して、一人で応援していた。(中略)
よし、勝てる。とその瞬間にイランの小さな女の子と父親のツーショットが2秒ほど映った。途端に私は泣き出しそうになり、イランも頑張れと小さな声で応援してしまうのだった。(中略)
もう勝てないと思ったあの親子の顔から、イランという「国」を考え、歴史を考え、人々の生活さえも想像してしまう>
ある、ある、ある。こういうことは私もよくある。
試合はカタールでおこなわれているのでその親子がイラン人なのかカタール人なのか、実のところはわからないのだが、国際試合を見ていてしばしば私も相手国の歴史や日本との関係性を思って、戦いというのはせいぜいサッカー(スポーツ)の次元で終わって欲しいと願うのだ。
明日は決勝の日韓戦がある。既に両チームとも五輪予選は突破しているので、安心感がある。韓国に勝ってもいいし、負けたってかまわない。それよりよくお互い、決勝まで駒を進められたものだ、と健闘をたたえ合いたい。
【自分メモ】
見田宗介10
心理学に「人間は必要とされることを必要とする」という命題がある。欲望の交響性と呼ばれますが、人の喜びが自分にとっても喜びとなる、ということですね。人間は基本的に、健康と愛と自然とがあれば無限に幸福な人生を生きることができるものだから、交響性の方向に欲望が解放され充実した日々を生きている人たちは、原発を作ってまでこれ以上、経済成長を続けようとか、他国を侵略しようとかテロリズムをやろうとかいうさびしい動機づけをもたないのです。
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