16日土曜日にアポをとっていた先輩編集者に昨夕、メールを送った。歯の痛みが上京するには辛すぎるので、と理由を明示して延期させて欲しいと書いた。1時間くらい経ってメールをチェックしたら彼から返信が届いていた。
<酷い歯痛のようですが、歯の周辺、というより顔全体に神経や腺がありますので、くれぐれも注意してください。
私も一昨年夏から歯科医に通っていまして、治療というより工事に近いのですが、悪い場所、すべて治してもらっています。あと1〜2回で終わり。首から上が優れないときは、何をしてもダメなので、ご無理なさらず。>(原文のママ)
その前後にも丁寧な文章が綴られていた。
2度読み返した。なんか少し気がラクになる。明日、歯医者に無理言って予約を入れソッコーで行こう、というセルフイメージをした。
で、今朝、パソコンを起ち上げると、鎌倉の退職仲間からメールが届いていて、近々で会おうというような内容だった。
すぐに返信する。
自分は今、歯というより歯の奥に耐えきれないような痛みがあって呻吟してる。が、怖くて歯医者に行けないまま瞬く間に1週間が過ぎてしまった。
こんな弱音を書いたらすぐに返事が来た。
早く行ってスッキリしよう、自分もいま歯を治療中でもっとたいへんなことになっている、と。
彼にも励まされ、その勢いで歯医者に電話をした。わりとアポをとるのが難しい「繁盛店」なのだが、自分の名を名乗る前に「近所の」という形容詞を付けたのが功を奏したのか、当日予約を入れてもらえた。
体はずっと微熱続きでだるいことこの上ない。さらに予約をしたものの、歯医者に対する恐怖心から何もする気が起こらない。
すでに先月一読した沢木耕太郎の映画評をまとめたハードカバー『愛という言葉を口にできなかった二人のために』を、ぱらぱらと読み直してみた。沢木さんは書く対象すべてに折り目正しい。それは人物であれ、ボクシングの試合であれ、映画であれ、過不足のないインタレストを抱き、誠実な目をそそがれる。誠実とはしばしば卑屈さや謙虚さが伴うものだが、沢木さんにこのイヤな2つはない。
本のあとがきで、淀川長治さんと一度対談をさせてもらったことがある、というエピソードを明かしていた。
対談で淀川さんから「大概ならペダンチックに書いたり、オレは知ってるぞというように書くのに、あなたは非常に清潔にお書きになる」という前置きをされた上で、沢木さんに訊ねた。「子供のころに映画に惑溺した時期があるか否か」と。
「あなたの文章には、子供のころ本当に面白いと思って映画を見たことがある人が書いたものに特有の肯定性がある」と言われ、沢木さんはずいぶんと嬉しかったと書いている。
沢木さん=清潔
沢木さん=肯定性
淀川さんが感じたことと私が感じたことは、たぶん同じ類いのものだ。
沢木さんが取り上げた映画すべてを、見ようと思えば見られるので、今年もまた追いかけてみよう。
午後3時過ぎ、モンダミンで口をすすいで歯医者へ。
20分ほど待たされている間、雑誌「湘南スタイル」を読んでいた。この歯科医院自体、内装を白で統一された清潔感、ゆったりとしたソファー、BGMはハワイの音楽……と湘南スタイルだ。かくいう私も徒歩3分の近所なのに、いちばん上等な黒のタートルネックと新しい黒ジーンズに着替えて来たのだった(苦笑)。
診察室に案内されて先生の診断と説明を聞き、自分で予想したことと違わなかったので納得をする。
麻酔を打たれ、先生から「効いてくるまで5分くらいそのままお待ちください」と言われる。天上を見上げている他なく、長い蛍光灯と埋め込み式のダウンライトを見ていた。ダウンライトは電球色の丸型蛍光灯で、うちで使っているものと同じだった。が、次々と見ていくと、1個、かすかに電球の根元部分が銀鼠色に変色しているのがある。はは〜、これも同じだ。年末、うちのダウンライトで1個、切れた球があったのだが、最後はこんな症状が見られた。
「先生、もう丸形の蛍光灯電球は売っていませんよ。年末、わざわざ湘南モールまで出かけて探したのですが、LEDしか売られてませんでした」
なんて言うはずもなく、というか、麻酔が強力で、会話出来ない状態になっていたのだった。
まあそんなこんなで、何とか生きて帰って来られた。歯医者からスーパーに足を伸ばし、プリンと牛乳と三角の6Pチーズとシュークリームを買ったのだが、さらに少し遠回りをして氏神様の祀られる神社へ行き、手を合わせたのだった。
ホント、死ぬかと思ったよ。
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