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2016年01月10日20:54

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おみくじや御札を自分で燃やすこと

 今日も起きた瞬間から不調だったが、自分の体とのお付き合いをやめるわけにもいかないので、仲良くするよう心掛ける。
 前日の朝刊から漱石の『門』と沢木耕太郎の『春が散る』をスクラップして新聞を片付け今日の新聞を読む、というルーティンからスタート。
 さらに増えた『えんぴつで奥の細道』は今日で6日目。5日目に芭蕉は日光山の麓に泊まり、今日の「6日目」は東照宮を参拝している。古くは二荒山という山だったのを空海が開いて「日光」と改めたそうだ。ホンマかいな。
 あらたうと青葉若葉の日の光
 有名な句だが、解説によると弘法大師と徳川の東照権現様を賛辞する内容らしい。日光山はなんと尊いお山だろう、徳川のおかげである、という意味だと書かれていた。この句をそう読むのが正しいのかどうか、浅学の私にはわからない。ただ、芭蕉について私がイマイチいい印象を持てないのは、雨月物語などで知られる上田秋成が芭蕉をひどく嫌っていて、その理由が「徳川幕府の提灯持ち」と見ていたから、ということに起因している。
 お伴を引き連れての大名旅行、行く先々で弟子たちから厚遇を受け、徳川幕府と蜜月な関係。が、300有余年を経てもなお万民の口にのぼる句を数多く残しているのだから、粋人中の粋人なのだろう。
 午後3時前、野澤一のご長男にお電話を差し上げた。
 松の内が明けてのご挨拶。ここまで本を借りっぱなしであることのお礼と弁解と今後のことについて。もうしばらく預からせていただくことにした。
 ひと息いれた後、ラズリと散歩に出掛ける。散歩コースになっている本覚寺では盛大にえびす様詣が開催されている。商売繁盛は結構なことで私も福笹を買いたいくらいなのだが、一方でお寺がなぜえびす様なのかという違和感と、そもそも西宮えびすの福男選びが毎年1月10日のニュースになっていることの不快感を拭いきれない。小さな頃、十日戎は家族みんなで行っていた。うちは当然のことながら西宮えびすだ。当時、福男なんて「神事」はなかった。いや、あったとしても開門前の早朝に行って、穢れのない境内を歩いてお参りするというようなものだ。境内を我先にと走ることなどするものか、バチがあたる(笑)。が、いつのまにか、伝統行事はでっち上げられ、さも古くからの神事扱いとなった。ようそんなウソつけるわ、阪神間で昭和30年代40年代以前に生まれた子やったら誰でも知っとう、全力で走るやなんてまったくのデタラメや(笑)。もちろん、恵方巻なんてのもあらへん。節分は柊の木にいわしを刺したんを玄関の上に飾り、夜になるかならへんかの頃に「鬼は外福は内」と言いながら煎った大豆を歳の数だけ食べるんが関西一帯の決まり事やった。恵方巻なんて小学校のクラスで食うたもん、ひとりもいーひん(古い神戸弁でいないの意)。以上、正しい神戸弁講座でした。
 散歩後、例年どおり、去年のおみくじとか御札などの縁起物を庭で燃やす。というか、焚き火をする。縁起物をお寺や神社に持って行ってお焚き上げしてもらうのもいいし、私みたいに自己責任で燃やすのも問題はない(法律上)。
 庭の落ち葉をかき集め、20分くらい焚き火したのだが、そばにいると輻射熱で体の芯まで暖かくなる。やっぱ自然の火はいい。火の前にいると無心になれる。敬虔な気持ちが湧いてくる。

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