フォルムの実際 19世紀 西洋絵画の設計図
西洋絵画のデッサンでは、目線を固定した場合に見える空間を平面の支持体に描写していく。目の位置が水平線となる。目の位置が高くなれば水平線も高くなり、目の位置が下がれば水平線も下がる。つねに目の位置がパースの基点となるのだ。西洋絵画の場合は、この目の位置を設定し、それを基準として支持体の中のパースを設計していく。これが西洋絵画の造形の基本になる。写真もカメラが固定され、その状態で風景やモデルを画像として固定していく。それまでの西洋絵画では、目線を固定する、と言うのが大前提としてあったのだ。この基本造形を壊したのがセザンヌだった。セザンヌは、支持体の中に秩序だった1つの空間を作り出す事が元から苦手だった。どうしても、複数の空間が重なりあってしまうのだ。その原因が何かは分かっていない。絵画を学び始めた頃の初心者には良く現れる現象で、ほとんどの場合、未熟さが原因だとされるのだが、セザンヌの場合は、それだけではなかったように思える。幼なじみのゾラは、セザンヌの絵画には詩がある。後は基本的な能力を身につけるだけだ、と言っている。ゾラは、セザンヌと一緒にデッサンを学んでいた時期があり、セザンヌより成績が良かったそうだ。ゾラの絵を見る確かさは、絵画の基礎訓練を受けていたからだろうと思われる。造形的には狂っているのに、セザンヌの絵画からは詩を感じる。ゾラにとっても不思議な体験だったのではないだろうか。何らかの芽生えをゾラも感じていたようだ。これは、印象派の画家達も同じで、モネもセザンヌの不思議な感覚を評価している。セザンヌが自分の絵画を完成させるのは晩年になる。新印象派のスーラーは点描で描いているだけで、伝統的な造形を踏襲している。これはモネもルノワールも同じだ。造形が変化し始めるのはセザンヌ辺りからだろう。西洋絵画の授業でセザンヌに時間が割かれるのは、西洋絵画の造形に大きな変化をもたらしたターニングポイントにセザンヌはなっているからだ。
セザンヌは静物画を良く描いているが、部屋にモチーフをセッティングして、その周りを歩き回り、良く観察していたそうだ。セザンヌには、目の位置を一点に固定してモチーフを見る、と言う事が出来なかった。そうやってフォルムを取っていくと言う基本的なデッサン法ができなかったのかも知れない。いろんな位置から見たモチーフの形が脳の中で混ざりあってしまう。初期の頃は、いろんなフォルムが混ざり合っているだけで、整理されていないために混沌とした状態が続いていた。長い年月をかけて、その混沌としたフォルムの絡みが整理されるようになる。そして新たな造形を元に絵画が構築され始めていく。
西洋絵画の絵画的空間は、作者の目の位置を固定する事で決められる。逆に言うと目の位置を決定すれば、空間も決定していたのだ。この目の位置を決定する事で、絵画的空間を決定させるやり方は今でも基礎デッサンで行なわれている方法だ。石膏デッサンを描く場合、まず自分の目の位置を設定する。その位置は水平線を示し、その空間の全てが集まる消失点になる。だが、遠近法に沿って、正しく描こうとすると非常に不自然に感じる場合が出てくる。その時は、自分の感覚の方を優先させる。これを極端にしたのがセザンヌの描法だ。初期のセザンヌの油彩画はロマン派風に描かれていたので、古典絵画の造形を踏襲するはずなのだが、セザンヌの造形は狂っていた。その状態でサロンに入選を目論んでいた訳で、造形の狂いを新たな可能性として評価する価値観も無い時代に造形が狂っている絵画を評価せよと言うのは無茶な話しだった。セザンヌのサロン落選を意図的に落とされたと言う人がいるが、はっきりとそうではないと指摘したい。初期のセザンヌの絵画を、造形的に欠陥がある絵画と認識する評価は真っ当だ。有名な画家の初期の稚拙な作品を、ことさら高く評価するのは、画家にとっても失礼だ。セザンヌが、自分の初期の作品を見つけると壊していた、と言うエピソードは、セザンヌ自身が、自分の初期の作品は、出来が悪いと自覚していた証左だった。初期の作品は、芽生えとしての価値はあるだろうが、作品として優れていると言う訳ではない。
セザンヌは、自分の目の位置を固定して絵を描く事が、何らかの理由でできなかったようだ。自分の目の位置を固定すると言われると、顔を動かしてはいけない、と思い込んでしまう人もいるかも知れないが、そう言う意味ではない。デッサンや絵画上の自分の目を設定すると言う意味だ。やり方は簡単で、支持体のどこかに水平線を描けば、その中心が自分の目の位置になる。それぞれのモチーフの消失点は水平線を平行に移動するのだが、作者の目の位置は水平線の真ん中に設定される。極端な煽りや俯瞰だと水平線が支持体の外に出る場合もある。水平線を決めた時点で、基本的なフォルム傾向は決まってしまう。人物デッサンを描く場合、水平線を決めると言う感覚はあまりないかも知れないが、まず水平線を支持体に設定する事が大事。支持体上に設定する自分の目の位置は、そこに自分がいると仮定した目の位置で、実際にモチーフを見て絵を描いている自分は、そのやや後ろにいる事になる。本当の自分の目の位置が基準になるのではない。この感覚も、写真を見ている自分と同じだ。写真は、レンズの目を通して見たモチーフや風景が写り出される。写真を見る時には、写真と目との距離が離れるので、カメラのレンズの後ろから見ている事になり、パース的なズレが生じる。モチーフや風景を写した写真と、その写真を見ている自分との関係が、モチーフを見ている自分と絵を描く自分との関係になる。モチーフを見ている自分と絵を描いている自分とは、目の設定位置が違うのだ。この感覚を捉えられるだろうか。モチーフやモデルを見ている自分の後ろに自分が立っていて、モチーフを見ている自分を見ている感覚だ。自分が見ているモチーフやモデルを、支持体に描く場合、描いている自分は、モチーフを見ている自分と空間的な位置付けに違いがある。この違いを認識する事が意外に重要になる。
セザンヌの特異性
セザンヌの場合は、どうなっているのかと言うと、まず、客観視が出来ていないので、支持体に水平線を設定するやり方をやっていない。セザンヌの絵画を見て、どこに水平線が設定されているか、探してみて欲しい。具象絵画の場合、どこかに水平線が設定されているのだが、セザンヌの絵画の場合、水平線が上下に移動するだけではなく、斜めにもなってしまう。つまり、水平線が複数ある空間になっているのだ。セザンヌの風景画では、水平線がしっかり描かれた作品がある。だが、その水平線は見せかけの水平線で、パースとしての水平線の機能は果たしていないのだ。セザンヌは、モチーフを見る度に、目の位置が変わり、水平線も変わり、支持体上の空間が重なりあって、ねじれてしまう。基本的な部分の能力が抜け落ちていたのか、過去の画像記憶が強く残ってしまうのか、何らかの理由で、セザンヌは、支持体上に秩序だった空間を構築する事が出来なかった。この空間のねじれは、どんな画家でも多少は起こるのだが、セザンヌの場合は極端だった。現代のように写真の構図をそのまま使う画家の場合、こう言ったパースの狂いは出難い。写真の場合はレンズによる画像の歪みやデフォルメは起きているのだが、カメラの性能の良さもあって不自然だと感じる程ではない。写真の構図をそのママに絵を描いても問題は起きないのだ。だが、逆に、パースが正確過ぎて、それが機械的な印象を与えてしまう事もある。その辺りは画家は心得ていて、わざとぼかしたりといろいろ工夫を施している。人間の目もレンズのため、レンズの特性がそのまま出る。そのため、目が捉える画像は、かなり歪みがあると言う事が知られている。その歪みを脳が補正しているのだ。この歪みの補正は、メガネを初めてかけた時に体験する。近視のメガネをかけた時に、左右上下の部分がかなり歪む。度が強くなればなる程、この歪みは大きくなる。ところが、メガネをかけ始めた頃は、歪みが認識できているのだが、しばらく経つと、歪みを認識できなくなってしまう。これは、歪んだ画像を自然に見えるように脳が補正してしまうからだ。人間は脳を通して風景や人物を認識しているので。脳がある程度かってに補正をかけてしまっている。この補正は、いろんな所に現れる。記憶色もそうだ。記憶された色は実際の色よりも鮮やかに感じられると言うもの。リンゴは赤い、バナナは黄色、と言うように、その物の色が強調されて記憶される。夕焼け等はその典型だろう。実際の夕焼けの赤色は、そんなに強くはない。だが、記憶色を元に絵を描くと、やたらと赤味が強い夕焼けを描いてしまう。初心者が色に関して、最も陥りやすい落とし穴の1つがこの記憶色だ。イメージ色と言ってもいいかも知れない。パースに関してもそうで、西洋の絵画は、消失点のある遠近法が良く使われる。だが、日本絵画の場合は、奥行きに関して平行だったり逆遠近だったりする。実は、人間の目には逆遠近に見える場合があるのだ。西洋絵画の遠近感のようには実は見えていない場合がある。例えば四角い箱があるとする。その箱の右側を左目で見て、左側を右目で見た場合、その箱は逆遠近に見えてしまう。日本絵画の逆遠近に描かれている部分は、実際にそう見えているのでそう描いただけだ。この遠近法の混乱もセザンヌの作品では頻繁に出てくる。右目で左側を見て、左目で右側を見ると言う、普通ではあまり起きないような事が起こってしまう人がいて、パースが混乱してしまうのだ。西洋絵画では、そのような混乱が絵画で起きないように、最初に、絵画的空間を設定してしまう。そして、その空間の中に矛盾無く存在するようにモチーフを描いていく方法が取られている。矛盾無くと言うのは、正しいと言う意味ではない。左右の柱は、目には歪んで見えているのだが、絵にする場合は、柱は直線として描かれる場合がほとんどだ。このような補正は絵画でも行なわれる。こう言った絵画的な決め事をセザンヌは無視しており、最初から伝統的な絵画空間が作られていなかった。そう言う意味では、セザンヌのフォルムの歪みは、先天的なものだろう。どうしてもこの空間の歪みをセザンヌは修正できなかった。歪んでいると言う認識があったのかどうかも良く分からない。セザンヌの脳が他の人とは違う補正の仕方をしていた可能性もある。
セザンヌの絵画が認められ始めると、西洋絵画の世界に衝撃が走る。元々印象派時代の仲間でもあったモネ達はセザンヌに対して好意的だった。ゾラは後年、印象派に対して批判的な言動をするようにはなるが、セザンヌに可能性を感じていたのは確かだった。ゾラは、印象主義の即興性による描写の限界を感じ始めており、より造形性の強い作品を求めていた。だが、果たして、セザンヌの絵画は、本当に造形性があると言えるのだろうか。それまでの伝統的な西洋絵画の造形とは違う方法で絵画を構築している。だが、それは、日本画も同じだ。日本画は、西洋絵画とは別の造形で絵画が成り立っている。造形によって絵画が支配されているのではなく、絵画の中に、いろんな造形があり、多種の造形の元に多種の絵画が描かれていた。セザンヌの描いていた絵画は、西洋絵画なのか、と言う問題だ。伝統的な西洋絵画の造形を捨てた時点で、セザンヌは、枝分かれを行なったと言うのが自然な解釈だろう。西洋絵画の進むべき道が分かれたのだ。その後、セザンヌの流れは主流とされ、伝統的な西洋絵画の流れは細まっていく。造形的には、印象派の誕生よりも、セザンヌの絵画が認められた方が、西洋絵画には大きな影響を与えた。その後、ピカソ達が、西洋絵画の造形に手を加える方向性で前衛絵画を制作し始める。西洋絵画の伝統的造形を壊しても、絵画として成立する、むしろ、新しい絵画を創造できる、と考えたのだろう。こう言う考え方の人は、現代でも多数いるだろう。しかし、これは、当たり前で、西洋絵画と日本絵画の造形は違い、それぞれに、優れた作品が存在する。絵画にとっての造形は、いわば設計図のようなもので、設計図を変えれば、できる建築物も変わるだけの話しだ。画家達は、新しい設計図を見つける事に夢中になっていく。そして、荒野にドアだけが並ぶ風景を作り出してしまう。新しいドアを作って、それを開けると、また別のドアを作り始める。そうやって、ドアだけが並ぶ世界が出来て行ったのだ。新しいドアを開ける事だけに意味があって、そのドアを基点にして建物を造る、と言う発想はもうなかった。新しいドアだけに興味があって、それ意外の要素は捨ててしまう。やがてそのドアも朽ちていく。建物が崩壊して瓦礫の山になっているイメージではない。ドアしかないイメージだ。歴史、時間を紡いだ文化的集積がそこには無いのだ。セザンヌの作り出した造形はセザンヌのもの。それを元に絵を描いてもセザンヌ的な絵画にしかならない。造形は個人のものとなり、際限なく細分化し始める。
画像は、セザンヌの風景画、しっかり水平線が描かれているのだが、単に画面を上下に分けているだけだ。見ている風景に水平線があったので、それを描いたのだろう。水平線の位置が下の建物のパースに何の影響も与えていない。パースペクティブそのものがこの風景画にはないのだ。そのため、セザンヌの風景画からは子供の絵のような印象を受ける。水平線の意味が消えてしまっているのだ。
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