似非「静かな生活」。小雨が降っていたのでラズリの散歩も最小にして、引きこもっていた。ソファーを背もたれに、床に座ってだらしない恰好で絲山秋子のエッセイ集『絲的メイソウ』を2時間半くらいで読み終え、続いて彼女の原作で映画になった『やわらかい生活』を観た。絲山さんは長年ウツ病とつきあいながらも精力的な作家活動をされていて、その姿勢もさることながらエッセイでも小説も切れそうなくらいに尖ったエッジが立っていて、ただ昏いだけではない。純文学の分野にあっては稀少なエンターテイメント作家だ。
クルマの修理をどうしよう。この小さなほころびからアイデンティティの問題に及んでしまい、日記に書きながら整理するような次元をとうとう超えてしまった。そもそも個々人の本質なんて十人十色で、共有できるもののできないものがある。自分でもよくわからない感情を他人がわかってたまるか、とも思う。が、自分というのはあくまで人間の総体である社会があってこそ存在し得るわけで、一人で生きている限り自分というものは存在しない。養老孟司がそんなことを言っていた。
みんな生きる意味をときどき問いながら生きているんだろうか。高校生の頃から今に至るまでしばしば他の人がどんなふうに考えているのか知りたくなる。が、小説でも無名な市民のブログでもそれは文字化の過程で虚構となり、どこまで誠実な叙述であっても漸近線のように真実に至らない。ここに寂しさを覚える。
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