本日も晴天なり。が、ワイドショーの占いによると、今日の運勢は最悪らしい。この身に厄災が降りかからんことを。
昨日、新聞の折り込みチラシにあったふすまや網戸などの貼り替え業者に連絡をし、今朝、網戸を2つ取りに来てもらった。作業所は横須賀にあるのだが、出来上がりは明日だと言う。「ずいぶんとスピーディーですね? ヨーロッパなんかでは考えられない」と言ってから「住んだことはおろか、行ったこともないんですけど」と慌てて付け加えた。日本の繁栄は下部構造の誠実さと真面目さに支えられている、とあらためて感じる。現代生活はギリシア時代に於ける奴隷に喩えると個々人は6千人の奴隷を使う暮らしらしいのだが、十分に納得出来る比較換算だ。
今日も一通お礼状を書く。
1字2字を書いた時点で、運勢はともかく今日の脳力は谷底であることを知った。脳が冴えている日と血の巡りが悪い日があってマダラボケを疑っている。調子がいいか悪いかを知る簡単なテストが字を書くことで、きれいで押さえや跳ねが基本に忠実な日は頭がきちんと働いている日。逆に下手くそな字に見えたらその日はダメな日だ。
今日の礼状は書こうと思えば便箋で3枚でも4枚でも書けそうだったが、はがきにしてよかった。下手な字で長々綴ると、貧相な面が強調されてしまうから。
最悪だ、といやな気分になったのは、表書きもしてはがきに切手を貼った時だ。ちょっと歪んでいる。水平が保たれていないのだ。しかしシール方式の切手で貼り直しも出来ないため、そのまた投函することにした。見栄っ張りな私としては、こんな些細なミスでもがっくりする。月30日で、調子のいい日10日、普通の日10日、悪い日10日。50歳代になって以降、この比率でここまで来た。暗い気分にもなるさ。
サッカー日本代表の対イラク親善試合をテレビ観戦。イラクの現代表が弱いのかハリルジャパンになって日本が強くなったのか、最後までわからなかった。
試合が終わって日記を書く前、「幻の新聞記事」を探すことにした。明日は新聞回収日なので、溜まった新聞は出してしまう。
確か3日か4日前だった、と思い出しつつ新聞を繰ったら、9日の朝刊だった。
「国立大、文系見直しを〜ニーズ踏まえ廃止・転換も」という文科省通知を伝えた内容だったが、テレビニュースでもネットのニュースサイトでも扱われてなかった(と思う)。
<社会に必要とされる人材を育てられていなければ廃止や分野の転換の検討を求めた>と記事にはある。これだけなら「頭の悪い者勝ち」な世の中ゆえに笑っていられるのだが、最近、富国強兵ばりの政策提言があまりに目につくのに、一般市民はおろか左翼までもがほとんど異議を唱えなくなってしまったことに違和感がある。その最たるものは、女性は子どもを産む道具という考え方が底流にある政策提言だ。気が付いているナイーブな感覚の人はきっといるはずだ。が、フェミニストグループが怒りの声明を出した、という本来セットになるべきお約束はなく、抵抗勢力がいよいよ少なくなっていることが淋しい。英語教育でさえ、私は胡散臭さを感じていて、英語も大事だが現代国語はむろん大事だし古典もそれなりに力を入れて教えるべきだ、と国粋主義的一面のある私は思い、日本文化の衰退を助長させる国の政策がいやで仕方ないのだ。なんか時の流れは私がちっちゃい頃に教わってきた教養主義から逆へ逆へと行っちゃって、気が付いたら無人島に一人取り残されたアホがこの俺だった、と暗い気持ちにさえなる。
本日、明るくなれたのは、散歩で農協市場の一角にある乾物屋で、ちりめんじゃこを買えたことだ。鹿児島県ウミガメの産卵で有名な吹上浜産、という手書きのポップが目に入って、近ごろブームの「シラス」とは似ても似つかぬ、見るからに硬いちりめんじゃこが売っていた。ガキの時分、貧血症だったこともあって、母はほうれん草だの鶏のレバーだのちりめんじゃこだのと、健やかな成長を促すべくいろいろと気を遣っていた。当時のちりめんじゃこは歯の間に挟まりそうなくらいに硬くて、しかし熱いごはんの上や大根おろし(関西では大根すりと呼んでいた)に入れてしばらく経てばいい塩梅に柔らかくなって、好物になったのだった。今みたいに消費者がうるさくなかったので、タコやイカの赤ちゃんが混じっていて、これもちりめんじゃこを食べる楽しみの一つだった。
5年前までシラスなんて食ったこともないような料理人が今、シラスだシラスだと騒ぎだし、湘南一帯は生かさっと茹でたシラスを食べさせる店が雨後の竹の子状態になっている。でも、浜で天日干しをして堅く仕上げたちりめんじゃこのほうが美味いことを知らないな。今日手に入れたじゃこは50年前の味とまったく同じで、久しぶりに母親を思い出したのだった。
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