フォルムの実際 19世紀 色の積層
積層混色
油彩画の混色は、パレット上で色を混色する方法、キャンバス上で直接混ぜる方法、そして、キャンバスに色を積層して混色する方法等がある。油彩画の場合、パレット上での多色混色はあまり推奨されない。油絵の具は、混色の色数が多くなればなる程彩度が落ち、色味が鈍くなる傾向があるためだ。だが、多色混色して濁りを表現の深みとして利用する描法もあり、一概に濁りがだめだと言う訳ではない。積層の色の組み合わせは、様々だが、同系色が馴染みやすい。風景画での森や草原の表現を思い描いてもらえると分かりやすいだろう。いろんな木々や種々の草花が広がる草原の美しさを表現するのに筆致を活かした同系色の積層が良く使われる。印象派の画家達は、空や川の流れにもこの積層を多用しており、水の反射による風景の移り込みや透明感による含み等、反射と含みが複雑に絡み合う様を表現するのに筆致による積層を良く使っていた。
積層の明度変化
積層には、明度の高い色の上に明度の低い色を乗せていくやり方と、明度の低い色の上に明度の高い色を乗せるやり方がある。同じ明度の積層もあるのだが、和音と同じように上下の明度を変えた方が積層としては効果的だ。明度の高い色面に明度の低い絵の具を薄く乗せる積層法の1つがグレーズだ。透明なフィルムを被せると言うような表現をする。実際のグレーズの用法は、そう単純ではなく、薄く乗せたグレーズを布で擦り取り凸凹の凹の部分だけに色が入るように描く方法も行なわれる。全体的にフィルムを被せるような描法だと、やはり単調になる傾向があるからだ。実際にグレーズを行なう場合、全体の色味が狙い以上に沈んでしまったり、表情が極端に変化したりと、イメージ通りにはいかない場合があり、そんな時は、ホワイトを入れた絵の具で上描きすると、グレーズで表出した意図しない表情を緩和できる場合もある。明度の低い色面に明度の高い絵の具を積層するやり方は、ドガが良く使っている技法だ。グレーズとは逆のやり方だが、ホワイトを入れて明度を上げた色を薄く乗せる場合もある。面白い効果が出るのだが、この描法はグレーズよりもさらにコントロールは厄介だ。1回で決まる事はあまりないので失敗したらやり直せばいい。、中間色の紙に、茶系や黒系の濃い色とホワイトを使ってデッサンするやり方に似ている。この中間色の紙を使うデッサン法に習熟しておくと油彩画での積層も比較的狙いを定めやすくはなる。
現代の緻密な具象絵画は、グリザイユ技法で描かれる場合が多い。グリザイユの上に色彩を施す描き方は伝統的な積層法だ。アングルもこのグリザイユ描法を研究しており、新古典派はグリザイユ描法を多用していた。この描法が現代にも復活している。油彩画の黄金期と言われるルーベンスやレンブラント、ベラスケスの時代にはあまり行なわれなくなった古い技法だ。グリザイユ描法は、新古典派がラファエロの時代の油彩画を研究する中で、取り入れたものだろう。ルーベンスのような描法は再現できなかったのではないだろうか。フォルムと明度表現を先にやってしまい、後にモノクロ写真に彩色を施すようなやりかたで着色していく。このような描法が19世紀になって復活し、また現代でも行なわれるようになった。下絵を、グレーの明度変化で、きっちりと形と調子を描けるグリザイユ描法はそれなりに便利なのだが、欠点として、人物の描写が硬くなる傾向がある。グレートーンで、フォルムをかっちり決めてしまうので、そこでフォルムが止まってしまい、人間の息づかいのような微妙な動きが捉え切れなくなってしまうのだ。絵画の写真化だ。写真の場合、シャッタースピードが早くなればなる程、人間の動きは人形化していき、どこか不自然に感じるようになる。19世紀に白黒写真が普及していくため、白黒でモチーフやモデルを撮影、その写真を元にグリザイユで下絵を描き着彩すると言う方法が取られたようだ。そのため、19世紀のサロン系ヌード絵画は、写真のようなフォルムをしている。実際に当時のヌード写真も存在する。写真の目は1つで人間の目は2つなので、人間の見たフォルムと写真のフォルムでは違いが出てしまう。
ラッファエロ以降の油彩画には、ホワイトに蝋が入れられ絵の具の厚塗りが可能となった。絵の具を絵の具で消せるようになり、描き進めながらもフォルムを動かせるようになったのだ。この微妙なフォルムの揺らぎが人間の生命観を表現するのに非常に有効になった。ルーベンスやレンブラントが使っていた積層法は、グリザイユ技法ではない。フェルメールはグリザイユ技法に近いが、上に乗せる絵の具は透明色のグレーズだけではなく、半透明なトランスルーセントも使われている。ルーベンスの時代は、人物の肌の表現に半透明な絵の具での積層描法が多用されていた。上に乗せる絵の具を透明フイルムのように薄く乗せるのがグレーズだが、これを半透明ぐらいの厚さにして乗せる方法がトランスルーセントで、積層効果をより生かせる描法になる。
反新古典派の画家達は、ラッファエロ以降の西洋絵画の描法を積極的に取り入れようとしていた。より筆致を生かした描法を選択したのもそのためだ。印象派の画家であるモネも初期の段階ではべた塗りで描いた絵画も存在するのだが、後に、べた塗りは影を潜め、画面全体を筆致で覆うようになっていく。これを見て、色彩分割だと誤解したのではないかと思えるが、印象派の絵画は、下層の色と上層の色を交差させるハッチングで描かれていた。
モネの描法は、色を横並びにするのではなく、筆致が重なる部分に色の積層が生まれる描き方だ。筆致が重なっていない部分と重なっている部分が混在し、さらに発色が複雑化していく。描き方としては、クロスハッチングの要領で色を筆致で重ねて行く。この描法を実現するには、ハッチングの技術が必要になり、クロスハッチングのバリエーションを会得している事が前提となる。デッサンでのクロスハッチングは、言わば積層による明度表現だ。クロスハッチングは、線を重ねる事で調子を描いていく仕組みになっている。線と線を交差させる角度も重要で、クロスする角度やクロスさせる線の数によって表情が変わってくる。ハッチングを会得するだけでもかなりの訓練が必要になってくるが、デッサンをしっかりやって来た人には、油彩画でもハッチング描法ができるはずだ。この辺りにも基礎訓練が大事だと言う理由がある。基礎訓練をやってきていないと、いろんな場面で足枷となり成長を阻害する原因になってしまう。
油絵の具でハッチングをするには、絵の具の粘度が重要になる。比較的早く筆を動かすので、絵の具の粘度は、ややゆるめの方が描きやすい。使う絵の具は、最初に調合溶き油で溶いて、その後、粘度調整を揮発油で行なう。揮発油で薄め過ぎると、色の滲み斑が出来るので、その時は、揮発油の量を調整する。硬過ぎず、薄過ぎず、塩梅が大事だ。マヨネーズ程の粘度とも言われる。積層混色は、触指乾燥させてから積層するのが基本。そのため、積層描法は、思いの他時間がかかってしまう。実際の絵画制作では、何枚もの絵画を平行して制作すると時間のロスを防げる。絵を乾かしている内に他の絵画に手を入れるやり方だ。積層混色は、一度で仕上げる訳ではなく、後で何度も重ねて行けるので一度に描き過ぎないのがコツ。筆致は適度なバラツキがあった方が変化が出て面白い。そのため、わざと筆致に変化を付けて描く。モネは、筆致を画面全体に散らすように描いているのだが、マネ等は、色面として描写する場合もあって、画家によってまちまちだ。サージェントは、モネとの出会い以降、このトランスルーセントによる積層と即興描法を多用するようになる。そのため、それまでの、やや硬くて動きのなかった油彩画が、活き活きとした作品に変化していく。サージェントが印象派の絵画を学ぼうとした時には、色使いを学ぶつもりのようだったが、サージェントが採用したのは、トランスルーセントの積層と即興描写だった。色彩は、やや明るくなった程度に収まっている。セザンヌも、ロマン派の傾向のある油彩画から印象派の画家達との交流で色彩豊に変化していった画家だ、これはゴッホも同じで、印象派との出会いで、色味が大きく変わっていった画家は多い。セザンヌも積層表現を多用している画家だが、印象派のような細かな筆致はあまり使わず、色面として積層している。セザンヌは、補色積層も積極的に使っている。セザンヌは黒の絵の具を使っていた画家なので、補色積層を黒を表現するために使ったのではなく、色の濁りによる深みを狙ってのものだ。補色積層の場合も、下層の色と上層の色が重なった部分だけが濁ると言う描法だ。セザンヌの色の美しさは、このトランスルーセント描法によってもたらされている。晩年のセザンヌの作品は、薄塗りだが深みがあるのはそのためだ。初期の頃のセザンヌの作品は、非常に厚塗りで、半透明な積層は上手く使えていなかった。絵の具は厚くなれば色が深みを増すと思われがちだが、積層する場合は、下層と上層の色の響き合いが大事で、半透明の絵の具の積層の方が、その効果は大きくなるのだ。ある程度の絵の具層の厚みと言うのは、その事を意味する。あまりに厚く絵の具を乗せてしまうと、積層効果は薄まってしまうのだ。この絵の具の積層描写は、目新しい技法ではないのだが、油彩画にとって非常に重要な技法で、様々な積層描写を使いこなせるかどうかが、油彩画の出来に直結する。絵画技法は、他人が同じように描く事を前提とはしていないので、積層も、画家それぞれのやり方や個性的な組み合わせが求められる。筆致や色に決まりは無いので、いろいろ試してみて、自分のイメージに合う表現を見つけていく事になる。
左の画像は、ハッチングによる描法、紙幣の人物肖像画等に使われる銅板画の描法だ。エッチングには専門の職人がいる。この画像はそういったエッチングの専門職人が彫ったものだ。線描で描かれていると思われているエッチングだが、点描の要素が加わっている事がお分かりだろう。職人的エッチングを、絵画的にゆらしたのが右の画像だ。絵画表現では、このようにゆらしが良く使われる。
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