2日、ハイヒールのはてな?は、写真。写真の歴史は古く、箱に小さな穴を開けただけのピンホールカメラの原理は紀元前から知られていたそうだ。このピンホールカメラは15世紀には、カメラオブスキュラとして実用化されていた。ピンホールが結ぶ像は逆転しているのだが、それをさらに鏡で反転させ、磨りガラスに写す仕組みだ。一種のトレースのようなものだが、像が今の写真のようにくっきりしたものではなく、大体の比率や大雑把な形をなぞる程度の物だった。ただ、絵画を描く場合、比率が大事になってくるので、便利な機械だったのだろう。16世紀には、レンズを付けて、さらに画像をくっきりさせたカメラオブスキュラも登場する。この機械、画家以外の人には、あまり用のない代物だったのではないだろうか。画家と言ってもいろいろで、図鑑の挿絵や、記録用のスケッチをするのに重宝したようだ。実際、高名な画家がこれを使用していたかどうかは微妙なところ。デッサン力のある画家は、小さな画像しか得られない、こういう機械を利用する必要性があまりなく、モデルを見ながら、風景を見ながらデッサンをした方が早いだろうと思える。当時の絵画は、かなり大きいので、デッサン力がないとどうにもならない。しかし、カメラオブスキュラは、ある種の画家の手助けにはなったのではないかとは思う。現代でも写真を見ながら絵を描く人もいるし、プロジェクターで投影してトレースする人もいる。だが、全ての画家が写真を利用する訳ではないのは、当時も今も同じだろう。実用的な写真撮影が出来るようになるのは19世紀からになる。白黒の銀板写真が発明された。非常に綺麗に撮影できる優れた写真だが、ネガが無いので一枚っきりの写真になる。ただ、撮影時間も長く、人間の撮影は、ほとんどが写真スタジオで撮影されていた。この初期の写真スタジオは、画家のアトリエと作りがほぼ同じ。影の付け方も古典絵画の技法に準じている。そのため、当時の写真に素人臭さがほとんどなく、作品としての完成度が高い。19世紀に写真技術も発達、カメラの性能が上がると外での撮影も可能となっていく。肖像写真が大ブームになり、多くの人が写真を撮影している。家族写真も人気があった。この辺りは今も昔も同じだ。だが、写真撮影には専門知識も必要で、個人が気軽に撮影する、と言う訳にはいかなかった。19世紀の後半にロールフォイルムが発明される。これで映画撮影も可能となる。このフイルムの発明で写真は、さらに手軽な物となっていく。カメラも小型化され、持ち運びが便利になり、写真の役割も変わっていく。肖像写真から記録写真へと需要は変化。記録性の重要度が増していく。このカメラの小型化が実現するのは、20世紀になってから。それでも、まだカラー写真は一般化されていなかった。そして、現代はフイルムカメラからデジタルカメラ、そして、誰もがカメラを持ち歩くスマホ時代となっていく。記録性はますます上がり、タレントの人達が餌食となる。人気タレントが街を歩いていると、人盛りが出来て、われもわれもとスマホを構えて撮影会が勃発と言う微笑ましいシーンが見られるようになっていった。撮影するだけではなく、それをネットにアップするので、またたくまに画像は拡散。中には、そう言う流布した画像をストックしているマニアもいて、一度流布した画像を消し去る事が非常に難しくなっている。番組では、戦場カメラマンのエピソードを紹介。現実を切り取る写真の力が世の中を変えていくようになる。戦場カメラマンとしては、ロバート・キャパが有名だが、このロバート・キャパは実在しない架空の人物だった。シェイクスピアにはゴーストライターがいた、と言う話しも有名だが、商業主義のカラクリがそこにはある。この写真の記録性を逆手にとった、大捏造作戦も番組で紹介。写真は真実を写すものだと思い込んでいる人もいるだろうが、写真も嘘がつける。フリッピンのミンダナオ島で、原始生活をしている種族が発見され、その様子を撮影した写真も発表された。大スクープとなったのだが、これが全て捏造だった。この種族の原始生活を守ると言う名目で、一帯が立ち入り禁止になったのだが、しばらく経って、今、あの原始種族はどのような生活をしているのか気になった写真家が、立ち入り禁止区域に潜入した。すると、あの原始生活をしているはずの部族の若者が、Tシャツジーンズ姿でバイクに相乗りしていたのだ。この写真が発表され、原始種族発見が捏造だったのが発覚。たのまれて原始生活の演技をしていた、と住民も告白した。鉱山開発の反対派を封じ込めるための奇策だったようだ。スマホでもサギ写が横行しており、今では写真は嘘を付くと言う事実も広まりつつある。
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