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2014年12月18日09:59

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フォルムの実際 18世紀 ゴヤ編2

フォルムの実際 18世紀 ゴヤ編2
 普通は修業時代の絵画やデッサンはあまり残っていないものだ。どんな巨匠であっても初心者の時代は稚拙なデッサンを描くもので、そう言ったデッサンや作品を自分で破棄してしまう画家もいる。ゴヤの場合、画家として未熟であるにも関わらず宮廷画家となってしまったがために、初期の頃の絵画が残ってしまった例だろう。セザンヌの初期の作品も、意外に多く残っているのだが、セザンヌは、自分の絵画が劣っていると言う自覚がなかったためではないかと思われる。サロンに入選するレベルだと思い込んでいたようだ。ゴヤも自分の絵が劣っていると言う自覚は薄かった可能性がある。何が違うのか判断がつかないのだ。これは、良い絵を沢山観ているかどうかにもよる。絵画は絶対的価値によるものではなく、相対的な価値によって判断される。いく枚かの絵画を見比べる事で違いが見えるようになってくる。チェックするポイントはいくつかあるが、ほとんど直感だ。絵画に対する知識が大して無くても分かるのではないかと思う。逆に、知識を詰め込み過ぎて判断を間違う事の方が多いかも知れない。絵画の世界には、贋作が氾濫しているが、その贋作を見抜くのも、最初は直感から入る。どこかおかしい、そう思うから詳しく調べてみようと思い立つのだ。ゴヤ作と言われていた巨人の絵画も、ゴヤの絵にしては稚拙な部分がある、と言う直感から始まっている。詳しく調べてみたら、別人が描いたものだと分かったのだ。人間の直感や感覚はかなり鋭い。ゴヤは大器晩成タイプで、初期の絵画と後の絵画ではかなりの違いがある。初期の絵画が残っているために、ゴヤの成長過程を見る事ができる。成長の過程は、人によって違いがあっても、その絵画には、共通の課題が現れる。重要なのは、その課題を自覚できるかどうかだ。自覚できないと、修正のしようがなく、成長も止まってしまう。ゴヤは、バンカラなところがあるのだが、絵画に対する情熱は終生変わらなかったため、常に学び続け成長し続けていく。絵を描く才能と言うものはなく、人間が先天的に持っている能力ではない。スポーツの場合、持って生まれた肉体的能力が重要になってくるだろうが、絵画の場合、そう言った肉体的能力はあまり関係がない。ミケランジェロは、晩年視力をほとんど失うが、それでも大理石を刻み続けている。モネも視力が悪かったが、だから、自分の絵が描けたのだとすら言っている。モネの荒いタッチは、視力が悪く風景が良く見えなかったためだった。それを普通の視力の者が真似をしても上手くはいかない。目の悪いモネが見ている風景と目の良い者が見ている風景は違うからだ。
 画像は、左が、初期の宮廷画家の頃の肖像画、右が後のゴヤの作品。同じ画家が描いたとは思えないぐらい変わっている。どうやって成長していくか、これが、最大のテーマとなっていく。早熟の者は、早くから認められる。しかし、成長が止まってしまう場合もあるのだ。だが、大器晩成タイプは成長が止まらない。大器晩成タイプの怖さはここにある。絵を才能で考えると判断を間違う原因になる。初心者の頃から巨匠のような絵画を描ける者などだれもいないのだ。
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