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2026年08月24日13:56

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8/18 ザ・ファミリー・オブ・マン、写真展@日本橋高島屋S.C.本館8階ホール

数日前テレビ番組「美の巨人たち」でこの展覧会を知った。

「ザ・ファミリー・オブ・マン(人間家族)」は、1955年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で誕生した20世紀を代表する伝説の写真展。当時MoMA写真部長だったエドワード・スタイケンが企画し、世界68カ国・273人の写真家による約500点の作品で「人間は一つの家族」という人類愛と平和のメッセージを伝え、世界を巡回、日本には1956年に日本橋高島屋で開催され、約100万人を動員する社会現象となったという。
作品群はスタイケンの出身国であるルクセンブルクのクレルヴォー城で永久展示され、ユネスコ「世界の記憶」に登録されている。

2027年の日本・ルクセンブルク外交関係樹立100周年記念を機に、オリジナルから厳選した約115点による回顧展が行われることになったのである。

ちなみに、ユネスコ「世界の記憶」とは世界的に重要な記録物への認識を高め、保存やアクセスを促進することを目的とし1992年に開始した事業で、日本では、たまたま富士美術館で見た「山本作兵衛の炭鉱記録画・文書」がそれに登録されていたので知っていた。

ロバート・キャパ、ユージン・スミス、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ロベール・ドアノー、ウィン・バロック、デヴィッド・シーモアなど知っている名前の有名写真家がたくさん、マグナム・フォト、ライフ、ヴォーグなど有名なメディアも散見、日本人写真家も多数参加。これは見に行かずにはなるまい。

テレビを見た人が多かったのか、かなり混んでいたが、こういうのは入口だけ、すぐにばらけるので、入り口にあった1956年の展覧会資料は飛ばして中に進んだ。写真撮影は可。

最後には、1956年の展示理念を受け継いた、現在のルクセンブルクと日本の写真家の作品が紹介されていた。
紛争、災害、気候変動、移民などをテーマにいまの世界を生きる私たちの視点から再び「人類愛と平和」というメッセージを発している。気になったのは、70年を経て「家族」という形、概念が変わったこと。ジェンダーへの容認が大きく作用している。また、国際情勢もさらに複雑になっているといえよう。日本の方では、日本経済新聞社記者の作品展示となって、近年の大災害を取り上げたものが多かった。
なるほど、「世界の記憶」に登録された写真展は1955年で完結しているが、写真展の理念はそれ以後も続いており、続けなければならないものだろう。
歴史は流れていくが、立ち止まって振り返る時も必要で、ひょっとしたら今がその必要な時に来ているのかもしれないね。突っ走ったら本当に怖いことばかりが起こりそうだ。

…と、話がずれてしまった。
アルバムあります
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https://www.takashimaya.co.jp/store/special/the_family_of_man/?utm_source=prtimes&utm_medium=pr&utm_campaign=the_family_of_man
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1956年、日本橋高島屋において日本経済新聞社主催で開催された写真展「ザ・ファミリー・オブ・マン」。ロバート・キャパ、ユージン・スミス、アンリ・カルティエ=ブレッソンをはじめとする世界的写真家の作品約500点で構成された同展は、「人類愛と平和」という普遍的な理念を戦後日本に強く印象づけ、国内で100万人におよぶ来場者を集める社会的現象となりました。
それから70年。写真史に名を刻んだこの展覧会がオリジナルから厳選した約115点により回顧展として現代に蘇ります。2027年に日本・ルクセンブルク外交関係樹立100周年を迎えることを記念し、オリジナルの理念を踏まえつつ、現代の視点から応答する作品として、ルクセンブルクの写真家および日本経済新聞社の写真記者による作品も展示します。
世界各地で撮影された数々の人生の断片は、時代や国境を越えて私たちに静かに問いかけます。分断や不安が広がる現代において、この問いは過去の理想ではありません。写真たちが語るのは、過去の歴史ではなく、いまを生きる私たちへの問いなのです。

*ザ・ファミリー・オブ・マンとは
「ザ・ファミリー・オブ・マン」は、1955年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で誕生した20世紀を代表する大規模な写真展です。この展覧会を企画・キュレーションしたのは、当時MoMA写真部長を務めていた写真家エドワード・スタイケン(Edward Steichen 1879 -1973)でした。展覧会は世界各地を巡回し、900万人以上が観覧。日本では1956年日本橋高島屋で開催。実行委員会には、日本写真界を切り拓いた写真家・木村伊兵衛をはじめ、展示空間を手がけた建築家・丹下健三など、当時の第一線で活躍する表現者が名を連ねました。その後、国内20都市以上を巡回して合わせて約100万人の来場者を集めました。日本写真史における金字塔として位置づけられています。 
スタイケンは晩年に、「ザ・ファミリー・オブ・マン」を彼の出身国であるルクセンブルクに委ねました。現在、作品群はクレルヴォー城において永久展示され、ユネスコに登録されています。


プロローグ

悠然と流れる大河を太陽が照らしている大きな風景写真に、出産間近の妊婦のお腹と乳房の写真が貼られている。
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次に登場する写真が、ウィン・バロック《森の中の子ども》
地球が育み、人同士の交わりのなかで広がる命の神秘の幕開け
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恋人たち
「人類が命を紡いでこられたのは、恋人たちの運命的出会いがあったからでしょうか」
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母と子
「北極圏、コンゴの森、グアテマラの寒村、シドニーのスラム街など、厳しい環境も含めて、世界各地から集められた写真からは、肌の温もりが伝わってくるようです」
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大滝栄寿
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遊ぶ子どもたち
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家族

本展の核をなすテーマ。肌の色や文化、生活環境は異なっていても、互いに支え合いながら大地で働き、子どもを生み育てる彼らの姿に「家族」という共同体の根源を見出す。
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この日本人家族を撮ったのはカール・マイダンスという写真家。彼は1945年日本の降伏文書調印式を記録したカメラマンで、マッカーサーと共に来日していた。そう見ると複雑。
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教育
「人類が血縁関係を超えて育み、人から人へ、場所を超えて受け継いでいこうとするものが「英知」である」
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右端上、ディヴィッド・シーモア《文盲との戦い》
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死
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正義と人権
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戦争の顔
3人の女性、3人の子ども、3人の男性からなる9つの顔は、戦争そのものの「記録」ではなく、人間のの内面の刻み込まれた「経験」を示している。別々の国、別々の戦争なのだが、人の顔が語るものは、ただ一つに集約される。
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原爆投下翌日の長崎市内で出会った男の子は炊き出しのおにぎりを持って正面を見据えている。山端庸介の写真。
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水爆実験と国際連合
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会場は、向かい合ったこの2枚の大きな写真に挟まれて、次のセクションへ行く。今、上書きされていくこの二つ、もっとも立ち止まって考えるべきところのように思う。
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子どもたち

そして現れた最終章は、子どもたち。
戦争で傷ついた子どもたちもいる
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最後の1枚は、有名なW.ユージン・スミス《楽園への歩み》
ユージン・スミスは、水俣病の取材をした写真家で日本でも有名だが、この写真は、沖縄戦で重傷を負い、生死を彷徨う療養生活を経て、再びカメラを手に取れるまで回復した際、自身の子供たちを撮った写真だ。戦争の闇をくぐり、光さす未来へ進む人類の希望を象徴するこの写真は、確かに写真展最後にふさわしいし、いつまでもそうあってほしいと思う。
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8月24日終了

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ちなみに、コアな展示をすると一部の方々で評判の「高島屋史料館」では、「やっぱりゾウが好き」展を31日まで開催している。
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1950〜54年にデパートの屋上にたかちゃんという象がいた話は長じて聞いたことがあったが、流石の私も生まれていなかたのでみたことはなく、思い入れもない。だが、小さな史料室にみっちりと展示されていた内容はすごく濃くて面白かった。


象のたかちゃんについては、全体の半分くらい。タイから来日した生後8か月の姿から、上野動物園へ移籍するまでの4年間の軌跡を紹介。デパートで芸をしたりして人気者になったたかちゃんだが、4歳になって大きくなり過ぎて、もうデパートの屋上で飼うのは無理と上野動物園に引き取られる経緯は、現代だったら炎上しそうな話。大き過ぎてワイヤーで吊るすことができないから、たかちゃんは自ら階段を降りて外に出て専用トラックに乗ったらしいよ。象同士の相性やらなにやらで、上野から多摩動物公園に引っ越し、溝に落ちて這い上がれずに亡くなったのはなんとも悲しい。



後半半分は絵画好きの私にとっては蘊蓄だらけで面白かった。   
山王祭の神幸祭に登場した、巨大な「ゾウのつくりもの(山車)」に関する資料や仏教美術(普賢菩薩像や涅槃図)、伊藤若冲や長沢芦雪が描いた吉祥図、河鍋暁斎の楽しい戯画、明治以降の見世物やサーカス・動物園の歴史、そして戦時下の「猛獣処分」という悲しい歴史を網羅、図録があれば欲しかったほど。

最後は象印マホービンや象が乗っても壊れない筆箱など、懐かしい品も登場。この筆箱、持っていた子いたなぁ。
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https://www.takashimaya.co.jp/shiryokan/tokyo/exhibition/
戦後間もない1950〜1954年、日本橋高島屋の屋上には「たかちゃん」という1頭のゾウが暮らしていました。上野動物園に引き取られるまでのわずか4年間――それは短い時間でしたが、敗戦から立ち上がろうとする日本にとって、その存在は決して小さなものではありませんでした。賢くて優しく、芸達者だったたかちゃんは、多くの子どもたちに愛されました。
それにしても、なぜ、デパートの屋上にゾウなのか。本展では、たかちゃんを起点に、ゾウという動物が日本社会でいかなる意味を与えられてきたのかをたどります。
日本に、ゾウはどのように現れたのでしょうか。初めは象牙でした。ついで、ゾウに乗る普賢菩薩像や涅槃図によってゾウの姿が知られるようになります。伊藤若冲や長沢芦雪が描いたゾウはめでたい吉祥図でした。河鍋暁斎は本物のゾウを目にしつつ、楽しい戯画へと転換しました。
江戸時代に将軍吉宗に献上されたゾウが一大ブームを巻き起こしたことで、山王祭に巨大なゾウのつくりものが登場しました。幕末からは、ゾウが見世物やサーカスの、そして動物園の人気者となりました。ところが戦時下で、「猛獣処分」により多くのゾウの命が奪われます。ゾウもまた、戦争とは無縁でありませんでした。
だからこそ、戦後まもなく日本橋高島屋の屋上へやってきたたかちゃんは「平和の使者」として迎えられたのです。まど・みちおさんが歌詞を書いた「ぞうさん」は、当時のゾウ人気から生まれた童謡です。
本展では「ゾウに乗る」「ゾウを洗う」「ゾウを贈る」「ゾウを曳く」「ゾウを操る」「ゾウを食べる」「ゾウが招く」をキーワードに、ゾウと日本人の歴史をひも解きます。時代とともに、ゾウに託したものが変わってきたのです。
デパートの屋上でたかちゃんと撮った写真を一般公募したところ、130名を超える方々から貴重な写真をお寄せいただきました。これらの写真からは、ゾウのたかちゃんが戦後復興期に平和のシンボルであったこと、人々に希望を与える存在であったことをうかがい知ることができます。たかちゃんのお骨も初の里帰りを果たし、等身大のバルーンも登場します。現代版「ゾウのいるデパート」で、「平和の使者」たかちゃんに出会っていただけると幸いです。

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