たまたま見つけたこの展覧会。河鍋暁斎の「暁斎百鬼画談」が全場面公開と謳っている(実際は、展示ケースの大きさの都合上前後期2回に分けてはいたが)とあって、この機に、以前から気になっていた「中川船番所」というところも見てみたく、出かけた。
都営新宿線東大島駅下車とあるので我が家からは交通の便がいい。この駅はとても変わっていて地下鉄だが地上にある、しかも川を跨いで駅舎、つまりホームがあるのだ。初めて降り立つ駅だった。
川べりに広い公園があり飲食店も少なそうだが、あらかじめ調べておいた中華料理店に入る。中国人がやっている小さなお店だが、11時半で席が半分以上埋まっていた。それもそものはず、美味しい!コスパ良し!これなら通いたくなるお店だ、再訪する機会はなさそうだが、メモしておこう。
https://www.instagram.com/kappaken_s16/
駅前には「青龍」のモニュメント。江東区の東西南北に守護する四神があるらしい。江東区ってほぼ縁がなかったけれど、ちょっ興味が湧いてきた。あと3つ、モニュメントを探すプチ旅も楽しそう。
駅から徒歩5分、ここが「江東区中川船番所資料館」
ここの3階の展望室から旧中川を眺めるとこんな感じ。
手前の橋の奥に見えるのが、川を跨いだ駅。
真下は遊歩道になっていた。
下流の方、小名木川(運河)との合流地点に船番所があったとのこと。展示を見終わったあと散策するつもりだったが、なんと豪雨が。雨が弱くなった隙を狙って帰宅したので叶わず。
資料館に船番所の再現ジオラマがある。言うなれば水上の関所、ここは利根川や江戸川水系を経由して関東一円・東北方面から江戸へ運び込まれる物資(塩、醤油、酒など)の重要な経由地だったわけだね。
小さな特集展示で面白かったのが
「アオギス竿と江戸前の脚立釣り」
https://www.kcf.or.jp/nakagawa/kikaku/detail/?id=155
釣人で画家の小早川遊竿が書いた「遊竿画集」の絵がほのぼのと面白い。アオギスは警戒心が強いので、浅瀬に2mの高さの脚立を立てその上から釣り糸を垂らすらしい。ただ、今はもう東京湾からアオギスは絶滅。こういう風物詩も過去のものとなった。いわずとしれた水質汚染が原因。
さて、目的の企画展
「暁斎百鬼画談」と妖怪
https://www.kcf.or.jp/nakagawa/kikaku/detail/?id=154
中川船番所資料館新収蔵資料『暁斎百鬼画談』全画面を公開。人々が自然の不思議や出来事をどんな想像力で感じとり、「妖怪」という存在を生み出してきたのか、江戸時代から現代まで、時代を追いながら紹介します。
第1章 妖怪とは何か
妖怪画の始まりは、絵と文字が同じ版で刷れる整版印刷が広まった江戸時代に遡る。「酒呑童子」などのように、主人公を際立たせる描かれる怪物であった。
18世紀後半になると、絵入り娯楽本「草双紙」が人気となり、登場する妖怪がキャラクター化してくる。さらに、草双紙が大人向け「黄表紙」に発展すると、妖怪は滑稽さや風刺を表す存在となる。恋川春町「其返報怪談」、鳥山石燕「画図百鬼夜行」など
19世紀、浮世絵の表現力が飛躍的に向上、歌舞伎とのタイアップによって、妖怪や幽霊が迫力あるビジュアルで描かれるようになる。読本や合巻のイメージが舞台化され、さらに浮世絵として再生産、妖怪ブームが起こった。歌川国貞、国芳が大人気。
明治時代にはいると、西洋文化の流入で妖怪や怪異は「迷信」として否定されるようになるが、「錦絵新聞」には幽霊や怪異事件が報道され、妖怪は「心のうちに起こる不思議」「理解できない自分」として人々の間で生きる。
パネル解説だったが、時系列で妖怪がどのように生まれ、描かれていったかがわかり得心。
ここで紹介されていたのが、河鍋暁斎《新富座妖怪引幕》
見たことはないが記憶が…。河鍋暁斎が今ほど知られていない頃、山下裕二先生が講演会で紹介していたものだ。「暁斎はまだあまり知られていないが、必ずブレイクする。この引幕は横17mもあるから、いつか東博で暁斎展をやる時に展示してほしい。こんなでかいの、東博以外じゃ展示できないからね」そうおっしゃっていた。未だその実現は見ないが、この迫力ある引幕、ぜひ実物を見てみたいものだ。
第2章 江戸の妖怪たち
柳亭種彦作 葛飾北斎画《近世怪談霜夜星》
醜い女の怨念が蛇となって執念深く男に付き纏い、祟りをなす因果応報を描いた怪談で、のちの「四谷怪談」の種本の一つとなる。
怪談狂言「東海道四谷怪談」は文政8年(1825)に初演。作者は鶴屋南北。
乱れた髪、青白い顔、歪んだ片目などのお岩さんの姿は歌舞伎で作られ、浮世絵師によって多く描かれて、後世の「典型的な幽霊像」を形作る要素となった。
歌舞伎の舞台では幽霊の登場に様々な仕掛けがなされ、浮世絵にもそれが「仕掛け絵」(貼り付けた紙をめくると別の画面に替わる)となって人気。
鶴屋南北「天竺徳兵衛万里船」や曲亭馬琴「南総里見八犬伝」など、歌舞伎と浮世絵の連動が江戸の妖怪文化を大きく育てた。
ここでは「江戸の七不思議」(本所七不思議、深川七不思議)も紹介。
濹東地域は、江戸時代、明暦の大火以降埋め立てられた新しい町だったので、江戸市中とは異なり、夜は裏寂しい雰囲気を持っていた。だから「置いてけ掘」などの妖怪話が生まれたんだね。闇に妖怪あり。
第3章 河鍋暁斎と「暁斎百鬼画談」
百鬼夜行絵巻は室町時代後期伝土佐光信筆のもの、いわゆる「真珠庵本」が、現存する中で最古と言われている。これは、2023年「やまと絵」展で見ることができた。
ちなみに、私がこれまでに見た百鬼夜行絵巻、図巻などを挙げてみると…
東博所蔵では、真珠庵本模本(江戸時代19世紀)が2種と文化3年(1806)模本、狩野養信模(文政12年・1829)の4種。
大倉集古館蔵では、江戸時代模本。
チェスター・ビーティー・コレクション本@東博
住吉広定筆《百鬼夜行図巻》@府中市美
原在中《百鬼夜行絵巻》@サントリー美
横山華山《百鬼夜行図》(掛け軸)@東京ステーションギャラリー
河鍋暁斎《百鬼夜行図屏風》ゴールドマンコレクション@サントリー美
10作品もあったわ。ほとんどが大徳寺真珠庵本を元としているそうで、どんだけ人気があるのでしょう。妖怪は、日本人にとってちょっと怖いけれど、ユーモラスで親しみやすい存在だったのだなぁ、と改めて思う。
「暁斎百鬼画談」は明治22年(1889)に出版された折本で、暁斎最晩年の作。もちろん、付喪神の行列を中心とした真珠庵本の流れをもとに、鳥山石燕が体系化した妖怪像、歌川国芳が作り上げた戯画的表現を踏まえているが、暁斎独自の工夫がなされ、素晴らしいものとなっている。
暁斎のオリジナルは、人々の「百物語」から始まっている。黒羽織の語り手は暁斎自身か?怖いけれど楽しいっっ!
百個目の怪談が終わり、蝋燭を消すと…
骸骨軍団と妖怪軍団の戦いが始まる!
妖怪の行列ではなく、戦いに加勢する妖怪の群れが描かれているのね
実物の展示は前後期に分かれてて半分までだが、あと半分はパネルになっている
合わせて展示があったのは「暁斎画談」
暁斎の口述をもとに、門人の瓜生真和が編纂した画集・伝記。
絵の教則本として、西洋画の技法から骨格に基づいた人物描写、骨格や筋肉の図解を行なっている。上手いなぁ
絵の参考とするため、さまざまな名手の手本を挙げている。
右は、鳥山石燕、左は葛飾北斎
第4章 現代の妖怪表現
最後の章では深川図書館所蔵の妖怪紙芝居や
田河水泡・のらくろ館(森下文化センター)所蔵の妖怪漫画を紹介。
地元の資料館らしい素朴だけれど面白い展示だった。
そういえば、2022年に六本木ヒルズで「水木しげるの妖怪 百鬼夜行展」を見たっけ。百鬼の夜行は室町から江戸、明治を経て現代までずっと続いているのよね。
月岡芳年・河鍋暁斎を尊敬する妖怪イラストレーターの東雲騎人さんの作品も
ぽつぽつお客さんは入っていますが空いています。全て写真撮影可。
8月30日まで
アルバムあります
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000121466728&owner_id=2083345
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