8月19日水曜日、くもり時々晴れ(於山中湖)。
朝7時起床、一日のスケジュールは何ひとつない。無為徒食か無為自然か、その中間か?
起き出してまず電気ケトルに水を入れて電源をオンにし、沸くまでの時間を利用して自宅から持ち込んだ珈琲豆をミルで挽く。
いきなりコーヒーというのもなんなので、カレー用の大きなスプーン2杯分ほどのヨーグルトを食べてのち、窓という窓全部を開けてコーヒーをいただく。身体を動かすのが大儀なので、そそくさとピザ半分をオーブントースターで焼いて、1分かそこらで食べ終わった。これだけじゃ腹4分目くらいだから、お腹が減ったら冷凍ドリアを解凍して食べよう。
マンションなので庭がない。だからルーティンの庭掃除はできない。
台所とユニットバスに掛けているタオルを洗った。
クリーナーでさささと掃除をした。
これでもうやることがない。同世代のジジババで無職のひとは、どんなふうに一日を過ごすのだろうか、とても興味がある。テレビと言われたら、私は見ない人種ゆえ困ってしまうのだが。
持参してきた文庫の一冊藤沢周の『界』を手にして、座り心地のいい椅子に腰掛けた。
藤沢さんの小説は(心的)バイオレンス色が強かったり、厭世観や虚無感を脈絡のない詩のように描く作品だったり、わざと下劣な品性を露悪的にぶつけたりと、受け手にとって割と悩ましい内容が大半だ。読み始めると、『界』はここで挙げた特徴すべてを足して3で割ったような短編連作集だった。少なくとも朝っぱらから読む小説でないことだけは確かだ。自堕落な俺ですみません、と世間の人一人ひとりに謝りたい気分。
で、冷凍ドリアを電子レンジに入れ、温めるというか焼く。むちゃくちゃ不味い上に少量で、製造元(「明治」)に文句を垂れたいほどの不満を感じた。
食事のたびに思うことだが、包装用のビニールやプラスチック容器を大量に消費することになる。これらをゴミ箱に放り込むたび罪悪感めいた心境が生じ、石油文明のおかげで自分のような無能者でも快適な暮らしができる世の中に対し怨嗟混じりのため息が出てしまう。俺が普通に生きているだけで地球を汚してしまう、ごめん。
食料がほとんどなくなってしまった。今あるのは、食パンとコロッケと冷凍ドリア小ひとつ。スーパーに行って食べたい物を買う、ということが考えられるが、ゴミ箱に溜まる一方の容器やビニールが今日はすごく重たくて、運転する気が失せる。ちなみにスーパーまで9キロなので、歩いて行くには遠すぎるし、熊にでも遭ったらたいへんだ。
午後3時から、宇佐美まことの『入らずの森』を読み始める。これは自分のツボに填まりそう。まだ100ページ段階だが(400ページ弱の長編)、舞台が四国の愛媛県高知県の県境に位置する落人系のムラで、出て来る人たちが一癖も二癖もある。
伝奇ミステリー? それとも不条理ホラー?
こう書いていて思い出したのだが、一昨日の夜、ラジオドラマで『雨月物語』を聴いた。間を置かずの2度目だった。雨月は一応、怪談であるとされているが、上田秋成は多才な作家で、松尾芭蕉を超える知性と教養だと(一部では)されている。朗読劇を聴いていて、人間の業とはなにか、という永遠の命題をうまく怪談話に落とし込んでいる、と深い共感を覚えた。
これからコロッケ一個を食パンにはさんで食べる。買物に出なかったので、これが本日の夕食になってしまった。せめてコロッケは熱々に、食パンはいい感じに焼こう。これで満足できなければ、保存食としてキープしているレトルトカレーもある。
夜は読書を再開するつもりだが、世間の暇人はどんなふうに暮らしているのだろう? 私は半分死んでるような暮らしだと思ってる。
ログインしてコメントを確認・投稿する