共産主義国家の資本主義 資源の武器化
行き詰まっていた中国が、経済的に発展し始める。それまでの毛沢東支配下の中国では、大躍進政策の失敗での大量の餓死者を出し、文化大革命での大量の虐殺者。4人組による国家の私物化。ソ連との対立など、問題山積。共産主義では、経済は発展しない、という不文律をまず認めることから始めないと、未来は見えてこない。いまだに共産主義を理想化している人が知識人に多く、判断を誤ってしまっている。共産主義国家は、成長しない、これは、事実。ソ連崩壊によってロシアに戻り、一時的に混乱が起こったが、ロシアは、もともと資源大国だったため、資源を輸出することで、外貨を稼ぐようになる。また、もう、社会主義には戻りたくないというのが、ロシアの基本的なスタンスでもあった。プーチンは、独裁に近い支配をしているが、選挙は行っている。もちろん、制限付きの選挙だが、ここまで、個人支配を強めてしまったのは、ロシアに根本的な何らかの問題があったからだと言わざるおえない。それは、中国でも同じだった。習近平は、父親が共産党幹部の太子党だった。太子とは、王子を意味する。王様や皇帝の世継ぎという立ち位置だ。聖徳太子の太子だ。共産党の中に、太子党が存在する、ということを、不思議に思うかもしれないが、彼らの言う、王様や皇帝は、共産党の第一世代の幹部を指す。それだけ幹部は、共産党内では、別格の存在だった。なぜなら、共産主義国家は、少数の共産党幹部の指導の元に国が運営されるからだ。共産党幹部は、王様や皇帝に匹敵する。習近平は、その子供だった。それでも、若い頃は、父が毛沢東によって失脚させられ、地方に飛ばされ冷飯を食わされていた時期もあった。習近平は、けっして、有能な人材ではなかったが、父親の友人のコネで、取り上げられ、それなりの地位に付くことができた。太子の特権だ。そして、習近平は、胡錦濤によって総書記長まで上り詰めることになる。この時点では、傀儡だろうと言われていたが、権力を握った習近平は、一変する。権力を握った途端、恩人にすら容赦ない態度に豹変する。一気に権力を固めに出て、すぐさま支配を徹底させる。習近平は、汚職撲滅を旗印に、敵対する勢力に対して徹底した粛清を断行した。竹馬の友ですら粛清するという徹底ぶりは、習近平の性格を良く表している。これはプーチンも同じで、支配は徹底される。そうやって、まさに皇帝に君臨しようとしたのだ。ただ、習近平は、有能な指導者ではない。父親が共産党幹部だったというだけの男。後は、並外れた支配欲。毛沢東を崇拝していると言うが、毛沢東の権力に憧れている、ということだろう。もちろん、改革開放路線の重要度は理解していない。中国を世界の支配者にする、というのが夢のようだ。アメリカと二国で、世界を支配し、最終的には、アメリカもいてこます、という計画。ロシアは、国の状況は、悪くはなかったと思える。これと言った産業こそないが、豊富な地下資源があり、経済的な発展の余地は、十分にあった。天然ガスをパイプラインで他国に供給しており、安定した国家収入も得ていた。一体、プーチンは、何が不満でウクライナに攻め入ったのだろうか。プーチンの頭の中には、資源を武器として使うという戦略があった。他国に対して、経済的に、大きな損害を与える攻撃だ。この戦略は、中国も取った。それが、レアアースの輸出制限だった。重要な資源を独占し、輸出規制をすることで、他国に経済的な打撃を与える戦略。イランの石油を人質に取ったやり方も同じ。ロシア、中国、イランは、同じ穴のムジナであり、同じ戦略を取っている。世界的に経済的打撃を与える、という戦略。イランは、アメリカとの対抗、ロシアは、ヨーロッパとの対抗、中国は、世界支配の目的。レアアースを武器として、他国を脅して、従わせる、というのが戦略だ。つまり、ロシア、中国、イランが取っているのは、経済活動ではなく、戦争なのだ。経済を武器として戦争を仕掛けている。共存ではなく、他国の経済の破壊が目的。習近平にとっての貿易は、戦争のための資金確保。資本主義を戦争のための武器として使うようになった。かつて、共産主義者は、資本主義者を揶揄して、やつらは、しまいには、命まで金で売るようになる、と言って嘲笑していた。ここにも、経済が武器として使われる予兆が見て取れる。共産主義は、やはり、どこまでも血に染まった思想なのだろう。経済活動すら、戦争だと認識する。だが、ここで、大いなる矛盾に気づいた人もいるだろう。経済は、相手が、疲弊すれば発展しない。貿易相手が潤ってこそ、儲けが増える。資本論では、資本家は、労働者を搾取しているというが、現実は、どうか。学生は、就職活動に血眼になる。搾取されるために、頑張っているのか、否。仕事を得るためだ。中国では、新卒者の就職率が悪くなった。仕事がない。仕事がなければ、収入がない。収入がなければ食えない。搾取どころの話しではない。資本家は、労働者を虐殺しない。当然だ、労働者は富を生む。それを粛清するなど、もってのほか。コキ使いはするが、対価は払ってくれる。だが、共産主義では、資本家から富を奪う、抵抗すれば殺す。根本的に、そのありようは違う。抵抗する者を殺し、計画経済で大量の餓死者を出し、武力と権力で、抵抗者を粛清する。無実の者も多く殺された。資本家を敵と見なし、富を奪い、地位を剥奪する。さらに抵抗すれば殺す。容赦がない。共産主義にとって、経済も同じ、やはり、支配するための道具として使う。これが、徹底されている。共存ではない、共生でもない。貿易相手すら、破壊しようとする。資本主義は、契約であり、偏った契約かもしれないが、共存がベースになっていることは確か。労働者は、奴隷でがなく、労働の対価と自由は、保証される。それが、仕事だ。資本主義を敵視する共産主義は、富を奪い、殺す。それが正しいと思い込んでいる。だから、貿易相手すら殺そうとする。石油が足りなくなった時、日本は、アジアの国に、石油を工面した。日本も足りないが、貿易相手国であるアジアの国に石油が足りなくなると、貿易に支障が出るため、石油を回したのだ。一方で、レアアースの輸出を制限して、他国を破壊しようとする国があり、一方で、石油を工面する国がある。経済、そして、資本主義の運用の仕方に、大きな差異がある。この差異は、どこから生まれるのか。はっきり言えるのは、資源の武器化は、資本主義ではない、ということ。共存共栄こそが資本主義の根本理念ではないのか。
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