日中友好会館美術館では時々思いもかけぬ面白い展示を行う。しかも無料。地下のホールでは、講演会や中国伝統音楽の演奏会や舞踏会なども催される。展示の写真撮影は大抵全て可。同じフロアにある中華レストランの味は大陸っぽくて(サービスも大陸風だが)美味しい。隣には「日中学院」がある。大昔、一時期通ったっけ。
さて、今回は清朝滅亡の1910年代から太平洋戦争勃発の1940年代、主に上海などの都市部の女性ファッションの変遷を見る。大抵の人はチャイナドレスといえばすぐイメージできるだろうが、細かいことなど知らぬことが多くてこれは面白かった。
ここの展示、いつもさほど混んでいないのだが、土曜日だったせいか初めて激混み。おしゃべりうるさい女性グループが多かったが、しっかりチャイナドレスに身を固めたコスプレ派もちらほら。確かに、ベトナムのアオザイと並んで中国のチャイナドレスは、見る男性にとっても、着る女性にとっても魅力的よね。
しかし展示を見るとわかる。近代西洋でココ・シャネルが登場して女性を窮屈なコルセットから解放、社会のへの女性参加が行われたように、中国でもチャイナドレスは女性の解放と深く関わりがあるのだ。
ただ、面白いのは、西洋が女性らしさを極端に強調する服から動きやすいゆったりとした直線的な服に変わって行ったのに対し、中国では女性の体を縛り上げて、家や身分を表す色柄の服をゆったり着せ、その女性らしい曲線を消した時代から、女性が女性を主張できるようにと体の線を出す方へと解放したのだ。目的は一緒、形は真逆。
展示では、そんな説明はなかったが、私が思うに、それは列強に支配される側の国という立ち位置もあったんじゃんないか。上海外灘には租界があり、多くの西洋人が住んでいた。西洋の文化の流入は、急速だった。ファッションは社会が求めるものと決して無縁ではないってことだね。
それにしても、これらのコレクション、大変に充実、一見の価値ありです。
アルバムあります
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000121446131&owner_id=2083345
https://jcfcmuseum.jp/
https://jcfcmuseum.jp/events/event/2026-01/
本展では、チャイナドレスコレクションとして名高い「謝黎コレクション」から、1900〜1940年代を代表するアンティーク・チャイナドレスを厳選して展示。併せて、纏足(てんそく)の靴や調度品、手刺繍の小物なども紹介します。入館は無料です。
当時の日本社会は「大正浪漫」と呼ばれる時代の空気に包まれ、西洋化の進展とともに、和装と洋装が共存する新たなファッション文化が花開きました。同じ頃、中国でも近代化が進み、政治・経済・文化など多方面において東洋と西洋が激しく交錯し、やがて融合へと向かう時代を迎えます。そうした時代背景のもと、当時のモダン都市・上海で誕生したチャイナドレスは、女性のファッション史における革命的な存在の一つといえます。
「身にまとう・時をひらく」をコンセプトとする本展では、清王朝(1644〜1912年)の満洲民族の服装「旗袍(チーパオ)」を起源とするチャイナドレスが、西洋ファッションの影響を受けながら、中国に何千年も受け継がれてきた伝統的な衣裳形式から逸脱し、やがてモダン女性のファッションアイテムへと変化していく過程に注目します。各年代のチャイナドレスを通して、20世紀初頭、中国が封建王朝から近代国家へと移行するなかで生じた、女性の社会的地位の変化や身体的美意識の覚醒など、さまざまな側面における「ひらく」をテーマに掘り下げます。
第1章 チャイナドレスの起源ー清王朝満洲民族の旗袍(チーパオ)
旗袍の旗(チー)は、満洲民族の社会組織「八旗」に由来し、袍(パオ)は上下一体となった長衣をさす。直線断ちで、騎馬民族のためスリットが入る。男女ともに着た。
入り口に《19世紀後半の旗袍 絹》
つけ襟は「如意(意のままに)」を示す如意頭、胸の刺繍は牡丹の花で「富貴」、花瓶は平と同じ音で「平安」を表す。
古代中国
西周時代の服装形式は(前11世紀〜前8世紀)では「上衣下裳(じょういかしょう・ツーピース型)」で、これは「天と地の調和=宇宙秩序との融和」を意味したという。
儒教思想に基づき、身分や社会的立場によって、服装は、その色や刺繍される紋様が厳格に決まっていた。
《清代晩期 織錦 龍袍》
皇帝が身につける服は、黄色で、9頭5爪の龍文様と決まっている。
《19世紀後半 絹》
こちらは、清朝貴族が着る服。「吉服袍(ジーフーパオ)」「マン袍」(マンは竜に似ている想像上の動物)という。裾の波と山・岩の文様は、山河が統一された平和の象徴で「海水江崖」という。
皇帝は黄色、青、赤、白、黒は上層階級の「正色」で、庶民はそれ以外の「間色」を着ると決められていた。緑や茶は良いのね?
春秋戦国時代(前8世紀〜前3世紀)になると、男性は「深衣(衣裳連属式)」となる。清朝まで続き、それを広東・香港語で「長衫・チョーサム」といい、それがチャイナドレスを意味する英語「Cheongsam dress」になっているという。あらぁ、China dressというのは和製英語だったのね!
が、女性が上衣下裳からチョーサムも許されたのは20世紀初頭になってから。
《1910年代 絹》
女学生が着る「長背心(ロングベスト)」私たちがチャイナドレスと呼ぶ原型。
ボタンが可愛い
第2章 身体的美意識の覚醒ー新型旗袍の誕生
19世紀後半の清王朝では「中体西用」の近代化政策が進められ、女性も近代教育を受けられるようになり、社会進出や自由恋愛を目指す。
儒教思想の下「女性の身体は見せるものでなく、隠すもの」という認識で、装いは個人の好みでなく、属する家の地位、財力、身分を示すものに他ならなかったのである。
《1920年代 麻》
「元宝衿」という形の高くて硬い衿は、小顔に見えるため、清朝末から中華民国初期に大流行した
《1920年代 絹》
当時の伝統旗袍がもつ常識からは考えられない奇妙なデザインと酷評「奇装異服」と厳しく批判された
《1920年代 絹》
女学生の短衣とロングベストを一体化した初期の新型旗袍。
柄の「仏手柑(ぶしゅかん)」は多福の象徴で、多子の柘榴、多寿の桃とならんで三大吉祥果「三多」という。
《1920年代 化繊》
当時の中国では、西洋人と反対で、板のようなペシャンコな胸が美しいとされていた。多くのボタンがついた「小馬甲」という下着をつけて胸を縛りつける「束胸」という風習があった。この服の胸囲は小さい。しかしこの風習は健康や子孫繁栄に害を及ぼすと論じられるようになる。
《纒足(てんそく)》
ずいぶん昔だが、馮 驥才著「三寸金蓮」という小説を読んだことがある。うろ覚えだがこんな話だった。
母親は娘が4、5歳になると纒足の準備を始める。簡単にいうと足が成長しないように布で縛り上げるのだが、成長させないだけでなく、内側に折り曲げて骨を砕くようなもので相当な痛みを伴うという。成長し切ってからも布を緩めれば足は大きくなるので、今度は毎日自分でその処置をする。足が腐っているので臭いもきついという。なんのためにそのようなことをするか。大富豪に数多くの妾の中から、選んでもらうためである。大富豪は毎晩妾たちをずらっと並ばせ足だけを見る。お眼鏡にかなった足の妾だけが富と出産のチャンスを与えられるのだ。小さな足は、労働しない階級の漢民族にふさわしく、優雅さや貞淑さを表すといわれたが、変態的性的欲求によるものに他ならず、小説ではその描写がかなり…だった記憶がある。
公式な纒足禁止令が出たのは辛亥革命の頃と言われているが、風習は続き、根絶には時間がかかったようだ。
展示では、美しい刺繍を施した纒足の靴がいくつもあったが、なるほど、およそ足の形ではない。
写真を見ると、体の線を見せないゆったりとした直線断ちの衣裳の裾からちらりと見える、小鳥の嘴のような足先が、その時代のファッション感覚では素敵だったのだろう。
第3章 モダン都市の流行ー海派チャイナドレス
1920年代、上海の租界を通じて西洋文化が急速に流入。服は、漢民族の伝統的な平面裁断から西洋的な立体裁断へと変化し、社交の場にふさわしい華やかな装いとなって、身体の曲線を美しく引き立てる洗練された造形が生まれた。
《1930年代 絹》
論語の「楽而不淫(らくしていんせず)」に象徴されるようなチャイナドレスの出現。つまり、身体美を見せながらも優雅さを忘れず、品格ある女性美を楽しもう、という考え。立ち襟、紐ボタン、細い袖、ノースリーブ、透ける生地が特徴的。
《1930年代 絹》
現代では復元できないほどの高い技術の「ダブルパイピング」、高い衿、凝った花ボタン。外国製のアール・デコ風の生地は中産階級の奥様に人気。モダンガールは「摩登女子」という
当時のポスターや写真の展示も。日本の大正ロマンと似通っている。
《1930年代 化繊》
花ボタンは決まったデザインがなく、生地の柄からヒントを得て職人が作ったという、腕の見せどころ。
《1930年代 絹》
1930年代初期には、西洋のハイヒールは流行となり、それにあわせてチャイナドレスの裾もだんだんと長くなり、床につくような長さになると「掃地旗袍」と呼ばれた。一方で、スリットも高い位置に上げるようになるが、やはり歩きづらいので、短い裾と低いスリットも流行するようになる。スリットはもともと満州族が馬に乗るためのものだったが、「見せる」と「隠す」の絶妙なバランスが美学となった。
《1930年代 絹》
袁世凱の愛人のもの、と伝わる。ゴージャス
第4章 新たな時代をまとう華ー黄金期のチャイナドレス
《1940年代 絹》
漢方薬で染められた薄い絹「香雲紗(こううんしゃ)》は1930年代後半から40年代前半に高級娼婦の間で大流行。渋さと男っぽさで作ったチャイナドレスは却って女性の色気を引き出す。
《1940年代 化繊》
30年代後半から40年代にかけて、肩幅やウエストをかなり強調する「改良チャイナドレス」が流行。襟元は「八字襟」、ダーツを入れ、伝統的なボタンに変わって西洋のファスナーを使用。
《1940年代 綿》
女学生、女性会社員、若い娘たちに流行った藍色綿布「陰丹士林(インダスレン)布」のチャイナドレス
《1940年代 絹》
白菜は百財と同音なので縁起が良い紋様
《1940年代 麻》
第二次対戦中において、チャイナドレスもシンプルで動きやすいものに変化。チェック柄は知識人女性の間で流行した。
6月28日まで
アルバムあります
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000121446131&owner_id=2083345
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