5月9日、青天、暑くもなく寒くもない一日。
夜ごと、システム手帳に数行程度の日記をボールペンで書いている。mixi日記はしばらくおやすみをして、その時間は紙の本と電子書籍を読むことに充てた。
SNSをしていないこともあって、孤独感が少しばかり募った。とともに、たとえばマルクス・アウレリウスの『自省録』とセネカの『人生の短さについて』をアット・ランダムに開いて20分くらい読んでいると、どうしても自身の来し方行く末に思いを馳せてさらに気が滅入っていく。
<まずは思考で全宇宙を包み込み、永遠の時を熟考すること。あらゆる変化がいかに急速であり、君が生まれてから死ぬまでの時間がいかに短く、誕生前の無限の時間と空間の広大な広がりが死語もまた同じであることを観察すること>(自省録より)
2千有余年前の人生論で、既に人生の虚無について語られていることがウツ性格の私には堪える。
『徒然草』でもこういう人生の無常感に割いた章があったように思う。
昨日5月8日、横浜散歩に出掛けた。朝食後、JRで関内駅を目指し、まずは有隣堂とその近くにある古本屋へ。その後、永楽町と真金町(どちらもかつて日本でもっとも栄えたらしい赤線街)を逍遥すべく横浜橋商店街に向かった。私は買春の趣味がないものだから50年前の学生時代、このエリアは足を踏み入れたことがなく、唯一その先にある横浜橋商店街は知っていた。
遊廓自体に関心は薄いが、昭和テイストの街並みはノスタルジー以上の共感を覚える。が、残念ながら、旧赤線地帯にそれらしい遺物はまったくと言って見られなかった。
昼メシをどうしようか。
が、ランチを摂りたくなるような食堂が見つけられない。
寿町へ行こう。
日本3大ドヤ街で、いまは生活保護者の街になっている。
JR石川町駅の東は元町や中華街、山手エリアが広がっている。西は寿町をはじめとする貧民街で、駅をはさんで「天国と地獄」などと世間的には評されている。
地獄に落ちることが人生だ、と悪ぶる車谷長吉の心境に私はしばしば惹かれる。
横浜橋商店街から30分ほど歩いたところで、ドヤ街に入った。
実はYouTubeで寿町の実態や食堂のルポ動画をいくつか見ていて、大衆食堂があることも知っていた。但し、場所までは調べていない。偶々見つかったらそれでよし。
4、5分歩いていると、大勢の人たちが集まっている広場があった。なんだか異様なほどに人が多い。
金網越しによく見てみたら、生活困窮者救済の炊き出しだった。
麺の多い大きなカップラーメン、くらいの容器に係のひとが雑炊を入れては行列の先頭者に渡している。見ているうちに、食欲が徐々に失せてきた。
歩き疲れたせいなのか、ひどく疲れている。
もうこのエリアから脱出したい。
で、石川町駅まで行ったら、駅に隣接して「餃子の王将」があるではないか。店内を覗き見ると、7割くらいの席が埋まっている。ちょうどいい混み具合だ。入口わきにランチメニューが掲げられていて、3種類、いずれも790円だった。寿町の食堂で食べる心づもりだったが、王将のほうが精神的に落ちつく。
入ってランチ。
食べ終わったら精神的な疲れが消えていたので、もう一回、寿町に戻ることにした。
といって何か目的があるわけではない。
開かれた建物「健康福祉交流センター」が街の中心部にある。館内に入ってみたら、ロビーには将棋をさすひとたちがいて、奥まったところに図書室があった。
本棚を順々に見てみると、結構、本の揃えがいい。本屋大賞受賞作や直木賞受賞作が散見できるし、本自体、比較的きれいだった。各新聞なんかも揃えられていて、田舎の図書館並みの設備だ。
受付のひとに、「ここの本は寄付でまかなってますか?」と訊いてみたら、そうだと言う。「私が持ち込んでもいい? 送ってもいい?」と尋ねると、もちろんありがたいことです、と。
それなら私がお役に立てられることが可能だ。
お持ち帰り自由の「図書コーナー便り」(令和8年春号)をいただいて、図書室を出た。オススメ本の紹介や貸し出しランキング、編集長のコラム等々、読み応えがある。
交流センターは敷地が広く、あちらこちらに座れるベンチもどきが用意されている。お天気がいいせいか、どこもかしこも人、人、人。
縁石の上に座って、マイボトルに入れてきた珈琲を飲みながらぼんやりと、人、人、人を眺めた。
と、明らかに酔ったひとが近づいてきて、「お兄さん、ここの人?」などと尋ねられる。「いえ、散歩がてら来てみました。寿町が好きなもので」
だんだんと私の周りに人が寄って来て、それぞれの人がてんでばらばらに自分語りをする。私は目と目を合わせて話すのがちょっと苦手なのだが、彼らの目を見てると目を合わせる時の苦痛度が低いのだ。なんでかな、と不思議なのだが、その理由に思い当たるふしがある。
どいつもこいつも、眞正直なダメ人間だからだ。
ということは、俺もダメ人間だということだろう。
最初に私に話しかけた男は、泣き上戸の元やくざだった。
「人間のクズだな」と彼に語って一拍置いてから「俺も人間のクズだから、あなたの話はよーくわかる」と言ったら、泣き出され、抱きつかれたのだった。その瞬間、来てよかった、話すことができてよかった、と思った。
隣に座っていた大人しそうなエージと名乗る男が、自腹を切って私に缶コーヒーをおごってくれた。困ったな、生活保護者から奢られてしまった。
ありがとう、とお礼を言いながら、私はうしろめたい気持ちが溢れて来た。どこまでもクズなのは、目の前の薄汚れたシャツの男ではなく、小綺麗なおろしたてのパーカーを着ている俺だ。
俺は人前で絶対に泣かない。それが自分らしさのたしなみだ。
が、甘ったるい缶コーヒーをひとくち飲むたび、すまんすまん、とつぶやきながら泣きたくなった。
いい具合に新たな人が来たタイミングで、自分を囲んでいた輪から離れたのだが、またこの交流センターに来て、今度は俺が彼らを見つけて缶チューハイを奢ったらいい。それくらいしないと。
ふたたびJR石川町駅に戻って、京浜東北線に乗った。
少し後ろ髪を引かれる思い。
が、ドヤへ泊まりに行くわけにもいくまい。
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