4月20日月曜日、快晴。
最悪の「悪寒」に見舞われてしまった。
昨日、いまに生きる違和感、のひとつの元凶である難敵=AIにまつわるいくつかの論考を読んでいて、何故自分の感性にまったくそぐわないのか、などとぼんやり考えていた。生成AIを使ったトランプの「神画像」をはじめ、どの画像を見ても(一定の)ベタな色使いと描き込みが過ぎる手法。美とは幾重の条件と偶然が織り合わさって生じた心地良さであって、とりわけ偶然であることが多い。
AIは所詮、ネット情報から中央値(median)と最頻値(mode)を見つけ出して加工と構成をしただけの代物で、湧き水の旨さや堆肥の臭さや山から下りてくる風の冷たさはない。というか、そういう不純物を排除して生成される。
さて、なぜか詩人の資料のなかに、まったく何の関係もない無名アーティストの自費出版物がまぎれていて、たまにその表紙を目にすると、「元気かな」などと想ってきた。
彼、郷津晴彦は確か私と同年齢で、20世紀末、雑誌の連載小説にイラストを描いてもらっていた。東京芸大出身だけあって確かなデッサン力と、賢そうな構成力。
しかし、彼の魅力はそこじゃなかった。
当時の郷津は高校の非常勤美術講師をしながらアート活動をしていた。
そのうちのひとつが、海岸に打ち上げられた木の枝を拾ってそれを虫眼鏡で焼いて線を引く、というひどく単純な漂着物アート活動だった。私のような者には作品はどれも同じにしか見えない漂着物アートであったが、彼は何十もの「作品」と細やかな配慮とセンスのもとに並べた年1回の定例個展を開いていた。彼と雑誌での縁が切れて担当編集者でなくなっても、「魅力的な畸人」に接したいがためだけに、彼の在廊日にうかがっていた。
焼津や愛知県の浜が、郷津お気に入りの海岸だった。そこに1週間ほどテントを張って、日がな一日、虫眼鏡で流木を焼くという夏。
技術は限りなく要らない。が、ここまで「平和」なアート活動を貫徹できる者はほぼいない。
郷津は私の知る限り、2冊の自費出版物を出している。どちらも彼が精魂こめて自分で製本までしたブックレットのようなもの。
郷津はAIと最も離れているような気がしたのだった。郷津の自費出版物「犬男」をちょっと読んでみた。こいつ、どんだけ偏屈で、しかし心の容積が大きいのだろう?
かれこれ5年くらい前から、展覧会の案内状が届かなくなった。郷津から最後にもらった年賀状はいつだっけ?
彼にとって私のような「落ちこぼれ気取りの常識人」は用済みとなったのだろう。彼のような才を持たぬ私は、そう納得して、別に気にもしていなかった。
しかし、わずか50部の手作り本をプレゼントしてくれるくらいだから、そもそも私を嫌っているわけでもない。近々、もし個展でもやるのなら、ひょいっと行ってみたいな、という妄想を働かせ、とりあえず郷津晴彦でググってみた。
HPは2021年8月で更新が止まっている。この月、彼は個展を開催していたが、コロナ禍ということから私は行かなかった。
郷津晴彦で検索していても、情報は少ない。諦めかけたとき、唯一、私的なタイトルっぽいものがあった。題名が「さよなら、大好きな先生 」というnoteへの投稿だ。不吉な予感にとらわれながら読んでみた。
書いたのは、彼の教え子さんだった。
郷津晴彦は亡くなっていた。2021年11月だったらしい。
衝撃を受けた。
平和主義者で、天才的なアート感覚をお持ちで、誰よりも孤独を愛する郷津さんに会いに行こう、と私は心弾ませていたのだから。
スマホの連絡先でまた一人故人が増えた。
郷津晴彦の死を知って、私は戸惑っている。
どうしようどうしよう、と惑っている。
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