フロントの女性、すなわち「女将」が私の部屋を訪ねてきたのは30分が過ぎた頃だった。
「風さんは彼女の顔を見られてまだ覚えてますか?」
いえ、びっくりしたものだから全く覚えていませんが、それが何か」
なら、それでいいんです。
女将はせっかくなら、と部屋の茶器でお茶を入れてくれた。
少しプライベートな雑談をし、別れ際に近づいた時、彼女が身の上話を漏らした。
大学生の時に横浜でこの宿の跡取りと知り合い結婚した……。
まさか◯◯大出身? と訊いてみたら、私の後輩だった。そのことを告げると、女将はまるで身体を投げ出すかのような親密さを漂わせ、結婚後の生活や跡取りがわずか結婚4年で早逝したことまで話した。
「さっき会った女性は、幽霊ではありません。私が匿って4年になります。詐欺罪で警察から手配中で、私は同情からここに住まわせ自殺しないよう注意を払ってきたんです」
思いもつかぬ展開に、俺はただただ女将の話を黙って聞いた。
絶対に口外しないでください。この事実を知っているのは風さんだけ。まるで桐島聡みたいですが、彼女はもう生きていたくない、ここで早く死にたい、と生きる気力は残っておらず、最近は認知症に近づいているんです」
聞きたいことはいっぱいある。
が、私はほぼ何も言えないまま、午前零時、薬を一粒服用して眠りに就いた。
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