文化の生命力 それは、大衆の力
西洋的考え方の中には、階級が存在し、文化も階級によって分断されていたりもする。だが、ここで誤解しては困るのが、上流階級が好む文化を上流階級の者が支える訳ではない、ということだ。王族のための肖像画は、彼らにとっては非常に大切なものだった。そのため、誰が描くかではなく、どれだけ素晴らしい肖像画を描けるかが重要で、王族の肖像画を担う画家は、その国のトップの実力を持つ画家が選ばれた。肖像画は、他国の王族も見るため、その国の権威を表す訳で、下手な絵を描けば、他国から笑われる。そして、描いた画家は、命に関わる。日本でも同じで、大名の城の襖絵を描く絵師は、命がけだったという。依頼者の気に食わない絵を描けば、命を取られかねない。絶対的な権力者である王も同じで、気に食わない絵を仕上げれば、ただではすまない。そのため、画家は、実力本位で選ばれた。教会の祭壇画もそう。多くの目の肥えた人々が心から称賛するような傑作でなければならない。画家や音楽家など、文化を担う人物は、常に実力主義だったのだ。そのため、出身階級が不問になることが常だった。師匠である画家は、どんな階級からでも弟子を取った。武士が、その身分を捨てて絵師になった例もある。武士として生きていくより絵師を取ったということだろう。また、庶民出身の絵師も多く、師匠に弟子入りして鍛えられ、独立するというパターンが確立していた。師匠の弟子というのが、手形となる訳で、出身階級よりも、師匠が誰かが重要だった。これは、優れた才能が、どこで、どの階級で生まれるかは、分からないということだ。才能は、遺伝しない。ある程度の資質は、遺伝もするが、トップクラスとなると、遺伝で受け継がれる能力ぐらいでは、役にたたない。パターンとしては、巨匠の子供は、そこそこだったという例が多い。親は、大したことはなかったが、子供が大成する場合は、ある。だが、この例は、例外的で、やはり、弟子を取って、その弟子を育てるのが一般的だった。これは、現代でも同じ。血縁だと思っていたら養子だったという場合も多い。才能が、どこから生まれるかは、分からないので、分母の大きさが重要になる。限られた数の上流階級からは、優れた才能が生まれる確立は減る。結果、衰退する、という図式だ。階級が文化を支えている訳ではなく、数の多い庶民が文化を支えているというのが現実だ。ここを忘れている人がいる。それで、間違ってしまうのだ。日本のアニメや漫画は、大衆文化だが、一部のアニメは、既に芸術のレベルに達している。全てのアニメや漫画がそうだとは言えないが、大衆の中で育ち、そして、進化している。文化が成長する様が、ダイナミックで、面白いのだ。生命力に溢れている。自然に階級がある訳ではない。階級は、人間が意図的に作ったものだ。それに囚われると、自然の本当の姿が見えなくなる。現実すら見えなくなってしまうのだ。
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