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2024年09月06日17:56

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とうとう右脳が旧字旧かなになった

 9月5日木曜日、6日金曜日。
 いまのパソコンはメモリーが最低でも4ギガ、一般的なノートだと8ギガは積んでいる。が、私の頭は1ギガがあるかないかなので、現代社会を生き抜くにはかなり苦労する。
 戦前の文章というのは、概ね旧字旧かな遣いで、更に正規の旧字以外に、異体字と俗字が混在している。旧かなについても定められた規則はあるものの、それを知ってか知らずか現代表記に近い文章を書く人が多かった。
 校正をしていて、編集の基準を定めていないものだから、迷いに迷う。
 詩人が隠棲している小屋の真ん中に爐(いろり)があって、夜ごと詩人は爐(炉)のそばで蟲(むし)と戲(戯)れているか、火を眺めてそこに�叩平澄砲鮓�出しながら書き物をしてる。
 彼は「爐辺」と書く。しかし、爐は炉の旧字体で一方の辺は規則に従うと「邊」と書かなければいけない。私はとりあえず「爐邊」に統一すべく、再校でも殘(残)っている辺を邊に修正している。
 あまりに漢字遣いに集中していると、内容が頭に入って來(来)ず、致命的なミスを見逃してしまう。また、機械的に旧字に置き換えるのも著者に対しての礼儀を欠くし。著者に恥をかかさない程度に統一したり、新字を旧字にあらためなければいけない。
 詩人の全集を編むため、2カ月くらい図書館に通って旧字旧かなの本を読んだ。戦前の本も買ってざっと目を通した。
 結果、中途半端に旧字や俗字が頭に入ったのはよかったのだが、メモリーオーバーになって、落っことした絹ごし豆腐のごとくぐちゃぐちゃになっていった。
 昨日も今日も校正さんから届いた校正紙を見つつ、詩人の原稿画像をパソコンのディスプレイに広げつつ、左右に21世紀の漢和辞典と昭和一桁に発行された漢和辞典を置いて、正ゲラ(編集者校)に赤を入れている。詩人の旧かな遣いは割といい加減なのでこそっと直し、漢字も結局は無方針のまま直したり直さなかったり。さらにさらに迷うのが「明日は雨見たいだ」(明日は雨みたいだ)、「風に気をつけて」(風邪に気をつけて)というような表記。漱石の文章を見ていても「馬鹿見たいだな」などと、「見」を多用しているし、昭和10年代の小説を見ていると風邪を風と書く作家もいる。
 できるだけ詩人の息づかいを遺したいがゆえ、敢えて上記のような違和感を覚える漢字遣いを残している。が、心配なのは、この本を手に取った人が「編集が入ってない上に、校正もしていない」と誤解することだ。
 当初、私は「註」をつけていた。が、あまりに註が多くて、詩人の文章を10としたら註が3くらいになった。これではそもそも読みがたい文章なので読む人はいなくなる。で、片っ端から註は「トルツメ」にした。
 しかし、読者の編集者に対する不信は募る一方だろう。
 さらに、同じ字で、旧字あり俗字あり異体字ありということを発見し、版元に「いい加減な本を作るんじゃねえ」と抗議する人が出て来るかもしれない。
 しかもだ、この私は校正が進むにつれて、辶(しんにゅう)の点が2つだったっけ3つだったっけとこんがらがり、旧かな原則も何がなんだか忘れてしまい、不安が希望の10倍という日々が続いている。
 そんななかでも小さな歓びはある。
 昨日は実生で育てているアボガドの木の鉢替えをした。
 スーパーで買ったアボガドの大きな種を土に埋めてみたら芽が出た。茎は少しずつ太くなり、背丈も伸びた。やや左に傾いているのは、私がややサヨクだからであって、アボガドのせいでは決してない。
 今日の歓びは、図書館に行く前にやや高級なスーパーに入ったら、入口わきに美味しそうな数種類の食パンが並べられていて、オレンジ(の皮)味の食パンを比較的安価でゲットできたこと。図書館では好きな席がたったひとつだけ空いていて、ほどよっく冷房が効いた空間で「本の雑誌」(河出書房特集号)を暢気に読むことができた。帰りにリサイクル本コーナーをチラ見したら、「カーアンドドライバー」誌があったので1冊だけリュックにいれた。乞食みたいな性癖か(苦笑)。高校時代から転落願望があるので、理想形に近づきつつあるとも言える。
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