昨日31日上京、帰宅したのは午後11時半だった。
午後6時に始まった「関東大震災朝鮮人・中国人虐殺100年犠牲者追悼大会」(於文京シビック大ホール)が閉会したのは9時半近く。これほどに大がかりで満席なイベントを久しぶりに見た。壇上に登った登壇者は総計何人だろう? オープニングの「東方文化芸術団」(中国)、京畿民芸総(韓国)や、後半の幕開けには国内合唱団やピアノの演奏があったし、連帯の挨拶や国会議員の報告。各団体の代表者の取り組み報告、韓国・中国の遺族団体代表による挨拶などなど、プログラムの式次第を見ないとメモることが出来ないくらい、さまざまな人からさまざまなアピールを聞いた。数百名にならんとする登壇者の真摯な姿を見守りながら、時々は涙が出るほどつらく悔しい思いを味わった。立憲の杉尾議員が「今日も松野官房長官が”政府として調査した限り、事実関係を把握することのできる記録が見当たらない”と会見で答弁を繰り返した」と怒り声になってアピールしていたが、その答弁を受け容れているのが我々有権者(=日本人)である。電車の中で痴漢の被害をアピールしている女性に目もくれない、というような姑息さと判断停止状態だ。
学生時代からこうした規模の大きい集会に時々出る機会があったが、集団行動やその場の一体感が何より苦手な私は、小さな苦痛を伴う。にもかかわらず、仕方なく出席しているのはある種の義務感からだ。
そもそも自分は左翼ではない。規律優先の国家を否定しているし、物心ついて以降競争社会に於いていかに勝つかということに腐心し、私有財産制も受け容れ、唯物史観に対して納得していないところもある。かといって、一部のクリスチャンに見られるようなヒューマニストでもない。強いて強いて烙印を押すのなら、だらしのないアナーキストだ。
殺人と死体遺棄で起訴された犯人が裁判で身の潔白を主張する事例は枚挙に暇がないほどある。私は殺人それ自体より、むしろ裁判の過程でどこまで追究されても自己弁護や自己保身の姿勢を貫く姿のほうが嫌いで、犯人を憎む。人でなしだと思う。無教養だと思う。軽蔑の対象でしかない。
追悼大会の前、3年ぶりで老女流作家に会った。彼女は構想5年、400字2千枚の大河小説を日々書き続けている。半分は陣中見舞いの気持ちがあった。しかし、こういう場合、たいていは逆に励まされて別れることになる。彼女は私が編んだ『森の詩人』が好きらしく、今回も持参されていた。で、そろそろ追悼大会の会場へ向かわなければ、という段になった時、この本にサインして、と頼まれた。
とても困った。自分の著書ではないので、詩人の詩から気の利いたフレーズでも抜いて一筆書き、その最終行に小さくぼくの名前を添えたらいいのだろうか。
渡されたボールペンを握ったらそれだけで手汗をかいたくらいに困惑した。
結局、詩人と私の共通した「しきたり」をしたためて渡した。まるで小学生のような文と字(苦笑)。考える暇がちゃんとあれば、もう少しましなことも書けるんだけどなあ。だんだんとアルツハイマーの症状が進行していて、突発的な事柄に対応する力が衰えている。
帰宅後、遅い晩ごはんを摂り、シャワーを浴びてからパソコンを起ちあげ、メールチェックした。返信するのが面倒な仕事メールがあったので20分近く長文メールを書いた。女流作家からもメールが届いていた。数分レベルの返信をし終えたら、午前1時半を過ぎていた。
午前2時、睡眠薬を一粒服んだので、たぶん2時15分頃に寝た。
起きたら午前9時ちょうど。そこそこの睡眠時間なのに、身体が重い。気分も沈んでいる。それでも朔日の寺行事に出て、御祈祷を受けた。
こういう一面を見たって、私は左翼ではないんだけどな。しかし、17歳の頃からずっと”運動”にかかわっている。ある意味、無教養で無慈悲な日本政府の犠牲者だ。せめてドイツ政府くらいのレベルであれば、政治的な集会やデモも参加しない。朝鮮人と起因は同じの怨み骨髄だ。どうしてこれほど非人間的になれるのだろうか?
ログインしてコメントを確認・投稿する