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2022年02月08日11:26

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マリー・アントワネットの優雅な逃避行

マリー・アントワネットの優雅な逃避行
 有名な王妃は何人かいるが、マリー・アントワネットもその1人だろう。日本では、ベルサイユの薔薇で有名か。転生したらマリー・アントワネットに生まれ変わっていた、という設定の漫画があって、マリー・アントワネットの最後がどうなるか知っているため、なんとか運命を変えようと奮闘する。転生したら有名な歴史上の人物で、その運命を変えようと奮闘するストーリーは、面白そう。東京リベンジャーズのようだが、織田信長に生まれ変わって、本能寺の変を何とかしようとする、というのも興味深い。歴史を変えられない、もしくは、変えられたとしても、その結果が、、、というどんでん返しの面白さもありそう。いろんな展開があって、楽しめそうだ。マリー・アントワネットに生まれ変わる、という設定は、本格的に描くと、大河ドラマになりそうだ。マリー・アントワネットは、フランス革命での王族側の主役の1人になる。民衆VS王族の戦いだ。マリー・アントワネットは、民衆が飢えている時に、パンがなければお菓子を食べればいいじゃない、と言い放ったとされている。このセリフは、実際はマリー・アントワネットが発したものではない、と言われるが、まあ、そんなイメージなのだろう。今でも、マリー・アントワネットは、そういう人間だと信じているフランス人は多いそう。民衆の苦しみなど、どこ吹く風で贅沢を楽しんでいた、という設定だ。フランス革命後に、フランスで、西洋絵画の改革が、一気に進んだ経緯がある。西洋絵画の改革に、フランス革命が影響したことは間違いない。王族がいなくなったため、王族の肖像画を描く画家達は、職を失ってしまう。彼らにとっては、王族は、大事なお得意さんで、決して反王族の革命派ではなかったのだ。新古典派の立ち位置が微妙で、反革命派であることを公言することはなかったが、上流階級の肖像画を描くのが主な仕事で、みすぼらしい衣服を着た庶民や、汗だくで働く労働者を描くことを嫌っていた。この辺りが、同じ具象画家でも、ミレーやコロー、クールべ、また、マネやモネ、ルノアール、ドガ、セザンヌ、ゴッホ、達との大きな違いだろう。クールベとモネが友人だったことを不思議に思う人もいるだろうが、2人の考え方は、同じなのだ。特に、ミレーやクールべ、ゴッホは、庶民や労働者を好んで描いていた。クールベは、ちょっと異質に思うかもしれないが、彼は、目に見えないものは描かないという主義で、天使などは描かず、現実を直視したリアリスティックな具象絵画を信条としていた。そのため、風景画を写生で描く印象派には好意を持っていたようだ。今回は、絵画の話ではなく、フランス革命の、マリー・アントワネットの逃避行の話。先に、マリー・アントワネットの最後を書いてしまうが、彼女は、髪の毛を短髪に刈り込まれ、豚を運ぶ荷馬車に乗せられ、公開処刑場まで連行され、断頭台(ギロチン)で、首を切られて処刑された。死刑執行人の足を踏んづけて、ごめんなさい、わざとじゃないのよ、と言ったのが、最後の言葉だったと伝えられている。わざと踏んづけたのか、本当に、間違って踏んでしまったのか、この辺りにも、マリー・アントワネットのキャラが現れているよう思える。コミカルで、天然で、トンチンカンで、ちょっと抜けたようなキャラにされている。本当はどうだったかは分からないが、どう見ても、思慮深い人間ではなかったようだ。
 オーストリアの王家に生まれたマリー・アントワネットは、14歳で、フランスの王家に嫁ぐことになる。もちろんフランス語が必要だが、あまり物覚えは良くなかったようで、母親が心配していたそうだ。結婚相手のフランスの王子は、一つ年上で、似た者夫婦で仲は良かったよう。主導権は、マリー・アントワネットが握っており、贅沢し放題だった。二人とも、政治には、ほとんど興味がなく、夫は、ルイ16世として戴冠した後も、趣味に興じていて、のほほんと暮らしていたという。マリー・アントワネットも、もちろん庶民の飢えなどには、興味はなく、贅沢三昧は続いていた。パン云々の言葉は、マリー・アントワネットの言葉ではなかったとしても、気持ちは同じだったのではないだろうか。フランスが不穏な空気に包まれ、革命が蠢き始めた時、マリー・アントワネットは、まだ30代だった。処刑されるのが、37歳、最後の最後まで、危機感のないまま過ごしている。マリー・アントワネットは、最後まで、自分が間違っているなどとは、1ミリも思っておらず、冤罪で処刑されるのだと主張していた。
 フランス革命が勃発すると、当時の国王ルイ16は、王妃のマリー・アントワネットと子供達を連れて、フランスからの逃亡を図る。行き先は、オーストリアのマリー・アントワネットの実家。逃亡計画は、マリー・アントワネットの主張が取り入れられた。マリー・アントワネットの計画は、オーストリアの実家の王家に亡命して、身の安全を確保し、軍隊を連れて、フランスの革命軍を鎮圧する、というもの。おそらく誰かの入れ知恵だろうが、王様は、それに乗った。ならば、さっさとパリから脱出すればいいのだが、まず、マリー・アントワネットがしたことは、ドレスを新調することだった。それで、ドレスが仕立て上がるまで逃避行はお預けになった。逃避行には、新調したドレスが欠かせないと思ったようだ。マリー・アントワネットが脱出に際して、譲らなかったのが馬車だった。逃げ出すのだから、とにかく速い馬車を用意するのが、定番だろうが、全く逆で、豪華な大きな馬車を用意させた。理由は、たっぷりと荷物が積めるようにするためだった。その馬車には、ワインの酒樽8つ。銀食器一式、着替えのドレスがたっぷり、贅沢な食料品。家具が積み込まれ、馬車は、満載の荷物で、さらに重くなって、スピードはまるっきり出なくなっていた。夜、ベルサイユ宮殿を逃げ出したマリーアントワネット達は、途中で、用意していた豪華な馬車に乗り換え、パリを後にする。さすがにしばらくは、追っ手が来るんじゃないかと心配していたが、一向に、追っ手がくる気配がないので、マリー・アントワネットは、逃げ切れたと安堵する。ゆっくりと歩を進める馬車は、のどかな農村地帯をトロトロと進んで行った。一応変装はしていて、王様もマリー・アントワネットも従者の格好をしていた。貴族の亡命を装っていたようだ。当時は、まだ、貴族の亡命は許されていたよう。だが、翌朝、パリでは、王様一家が逃げた、と大騒ぎになっていた。直ぐに追っ手が放たれ、王様一家の行方を探し始めた。マリー・アントワネットを乗せた豪華な馬車が田舎町をゆっくりと進んでいるため、とにかく目立つ。ハラハラしているかと思いきや、パリを離れたことで安心しきっているマリー・アントワネットは、ご機嫌で旅を楽しんでいた。オーストリアの実家に着いたら、父に言いつけて、軍隊を出してもらって、反逆者の反乱軍をやっつけてもらおう、と、その後の展開を夢想してほくそ笑んでいたのだろう。フランス人の王様にとっては、オーストリアに行っても、身の安全が保証されるとは限らないので複雑な心境だったようだ。そのため、マリー・アントワネットと子供達を逃して、自身は、フランスに残ることも考えていたよう。目立つ豪華な馬車は、直ぐに話題になり、道中、不審に思う者も現れる。パリからは、王様一家が逃げたという情報も入っているため、あの馬車には、王様が乗っているのではないか、と疑う者も出てきた。この馬車には、警備が付く予定だったが、あまりに足が遅いため、途中で待っていた警備隊は、解散することになってしまった。軍隊がまとまって駐屯していると、何事が起こったのかと目立つため、理由を悟られないためにも、早期に解散する必要があったようだ。あまりに遅い馬車は、逃亡計画をことごとく潰しながら、トコトコと進んでいく。ある町に差し掛かると、町長と名乗る男がやってきて、夜の道中は危険なので、町で一泊してはどうかと進めてきた。だいたい、こんな時は、時間稼ぎで、突っ切ってしまうのが正解だろうが、何しろ重くて遅い馬車が足枷となって、何ともしようがない状況で、町長の申し出を受けざるおえなかった。王様一家が、粗末な宿で一泊して朝になると、パリからの使者が到着しており、パリに帰るように指示された。住民も大勢集まっており、武装兵にも取り囲まれていて、ここで、マリー・アントワネットの優雅な逃避行は終了する。他の王族の中には、国外への逃亡に成功した者もおり、この失敗の最大の原因は、マリー・アントワネットにあった。速い馬車で、さっさと国外に出ていれば、革命派は、手を出せなくなっていたからだ。パリに連れ戻された王様一家は、軟禁状態にされ、ルイ16世は、裁判にかけられ、死刑が宣告されることになる。
 かつてのヨーロッパは、それぞれ少数の王族が国を支配する構図だった。フランスでは、その王族の支配が、革命で終焉を迎える。王政が崩壊したことで、他国の王族に衝撃が走る。フランスの国の体制は、王政復古から、また、革命戦争が起こったりと、混乱の中、王族は消滅し、共和制へと完全に移行する。





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