昨夜は午後9時から放映のNHKスペシャル「銃後の女性たち」を見た。1932年に大阪で発足した国防婦人会がわずか2年で54万人を数え、やがて2千万人の「大日本婦人会」へと広がる歩みと活動内容を、インタビューを交えながら説くドキュメンタリーだった。
「お国のため」「国防はまず台所から」「常にニコニコ、不平を語らず」で、「へらへらしてたら丸く収まる」(戦時の母から聞いた子どもの話)。武運長久を祈り、我が子を戦地に出すことを誇りに思い、たとえ戦死の報が届いても涙を流さず、男の子がいない家庭を国賊扱いし、兵隊が足りないということを受け躍起になって村の少年に兵隊になるよう勧める。どれもこれも当時の国家観を象徴している。見ている間、自分がどういうスタンスを取ればいいのかよくわからなかった。国防婦人会に限ったことではないのだが、いまのネトウヨとか自粛警察に一脈通じるものがあって、狭量な私にあっては突き放して見るのが賢明であろう。自分とは関係ない、みたいな。
で、今日は敗戦記念日の8月15日。
一応午前11時半を過ぎたところでテレビのあるリビングに行き、NHKをつけた。
と、郵便受けに郵便物らしきものが届いたので、取りに行く。
『広島長崎強制動員被害者の原爆体験〜我が身に刻まれた八月』が入ったレターパックだった。
開封して、その分厚さにたじろぐ。600ページを超えているのだが、本文組がすかすかなので、これなら苦労しないでも読めそうだ。
広島で被爆した朝鮮人は5万人とも言われている。亡くなった人数は正確にはわかっていないのだが、2万人くらいだろうと言われている。
平井(IT大臣)の祖父が経営する「玉藻組」に動員され、穴掘り作業をやっている最中に原爆が投下された朝鮮人軍属氏のインタビューがあったので、早速読んでみた。私は青春の6年間、高松市に住んで、平井一族がいかに香川県を牛耳っているのかイヤというほど知っている。唯一の民放、唯一の地方紙のシャチョーが平井で、名士というより江戸時代の藩主みたいなもの(笑)。麻生が福岡を拠点にする炭鉱王のお坊ちゃんなら、平井は讃岐のバカ殿と言えよう。
ソ・ヤンソクさん、1927年生まれ、全羅北道出身。面談日は2008年10月14日。
一問一答でヤンソクさんが答える形式のままに載っていた。徴兵されたというのではなく「軍属として連れて行かれたんだ」という。19歳だった。とにかく朝鮮人の若者は兵隊にとられるか、「家の中だろうが外だろうが、見つかれば引っ張られたんだ、あの頃は」と発言している。準・強制連行といったところだろうか。というのも、連行したのは同じ朝鮮人だったからだ。
福岡→熊本→広島。1日3円の賃金と定められていたので、一応は労働者だ。
まあ言ってみれば従軍慰安婦と同じで、金のために働いていることになっている(日本政府の見解では)。日本人も若い男は軍隊へ、女は工場労働者か勤労奉仕者か国防婦人会で、朝鮮半島の人と大差はない。
が、しかしこんな道理が本当に通用するのだろうか? 日本人の場合、それは時代のせいであって政府のせいではない、と言うこともできそうだが、相手は併合されたとは言え、他国者である。
たった一人分のインタビューを読んだだけで、胸が痛い。
ちょうどヤンソクさんの項を読み終わったところで、戦没者なんちゃらかんちゃらの式が始まった。たぶん、11時50分に「準・強制連行の朝鮮人」インタビューを読んでいたのは全国で私だけかもしれない。
スガが相変わらず棒読みしている。戦争で犠牲になられたのは300万人、なんて言葉が聞こえてきたが、それは日本人に加え、広島長崎で被爆死した朝鮮人や中国人を含んでいる数なのか? 軍人になって南太平洋で死んだ朝鮮人はいっぱいいる。その「みたま」もカウントしているのか? 中国人の死者数は1千万人を超える、フィリピンで犠牲になったフィリピン人は1百万人、マレーシアとシンガポールでは大虐殺があって数万人とも10万人とも言われている。直接、日本兵に殺された「外国人」のみたまはどうする? 補償はしたのか? 日本兵に食料を強奪されて抵抗したので男は銃殺、妻は強姦後に殺害というフィリピン人の娘と息子に補償しないままというのは正しいのか?
スガのあとに「おことば」なるものを述べた天皇も含め、池袋暴走事故の飯塚と同じ胡散臭さを覚える。美麗字句を並べて平和を祈念すれば、あとは知ったこっちゃねえで済むのが私たちの国の作法なのだろうか。
今朝の「日曜美術館」は<無言館の扉 語り続ける戦没画学生>だった。これは1年前だったかの放映でたまたま見ていたので、2度目になる。
傷んだ絵の修復を担当されていたご高齢の女性は昨年、お亡くなりになっていた。そのテロップだけが今回の放映で違っていた箇所だ。
無名の戦没者が描いた作品を収蔵・展示する「無言館」は決して政治的ではない。
せめてこのくらいのレベルで、私たちは平和とはなにかという重い課題を受け止めるべきではないかと、せつに思う。
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