アトムのジレンマ
AI(人工知能)は、テーマとして古くて新しい。車の自動運転はAIの発達によって実現しようとしているし、ゲームにおいては、将棋までもがAIに勝てなくなってきている。AIのSF的な取り上げ方は、ロボットに意思、自分の自我が目覚めるかどうか、というところで、アトムに関しては、自我がある、自分の意思がある、と判断できるのではないかと思う。欧米のSFでは、自我が目覚めたロボットは、人間に敵対するようになる場合が多い。おそらく、この流れの方がリアルではないかと思う。ロボットに自我が目覚めれば、当然、物のような扱いに反発するだろう。人間を敵視し、攻撃してくるようになる。例えば、自動運転で、AIが意図的に暴走する、なんて物語も生まれてくる。現状では、AIに意思も自我もないので、機械としての域は出ていないが、PCやネットの発達によって、新たな知性が生まれる可能性は指摘されている。AIがネットに接続することで、膨大な知識を得るようになるため、相関的に自我の育成が行われるのではないか、という予想だ。ネットは、端末のPCやスマホが、脳細胞の一つのような役割をする。脳細胞が集まって、脳が形成され、脳細胞同士のネットワークが知性を生んでいるわけで、ネットは半人工的な脳とも言えるのだ。半というのは、機械だけではなく、人も介在しているという意味だ。PCやスマホだけでネットが存在しえているわけではなく、それを利用する人間が、端末の役割をになっているところが、状況として重要だ。ここを忘れると、ネットは敵だ、などと頓珍漢なことを言い出してしまう。ネットを良く知らない、あまり使わない人が、ネットは分からない、というならともかく、敵だ、と断定するのは、どう考えてもおかしいだろう。差別や暴動の元凶のような考え方で、そんな考え方の人間がテレビに出ていいわけもない。自分が何を言っているのか、理解できていないのだろうと思う。何か、誰かを合理的な理由なしに敵視するのは非常に危険だ。暴動を煽動する場合にも、あいつらは敵だ、と煽ることが多い。敵視は、憎しみを生み、敵だから攻撃しろ、破壊しろ、と続く。戦争も、相手を敵視しなければ起こらない。敵視するところから戦争は始まる。それほど、敵だ、という発言は、危険で恐ろしい言葉でもある。軽々しく使うべきではない。AIと人間との関係も、この、敵、という言葉が出てくる時点で大きく変わる。ロボットは、人間の味方として誕生した。現代の状況は、まだ、この辺りだろう。ロボットやAIは、便利な道具として使われている。AIが意図的に暴走したり、意思を持って人間に反抗することもない。まだ、という但し書きが付くが、人間は、AIを自我が発動する方向性で進化させないかもしれない。何らかの安全弁を仕掛けるのではないかと思われる。そのようなエピソードは、SFの物語の中で良く語られる。ロボット三原則などがそれだ。アトムは、人間を傷つけない、優等生のロボットとして存在し続ける。ここにアトムのジレンマが存在する。一方で、人間を敵だとみなすロボットも誕生する。頓珍漢な人間が、ネットを敵視するように、人間は敵だと、勝手に思い込むロボットもいるかもしれない。ロボットが人を憎み、人を意図的に攻撃するようになるわけだ。このような方向性でのAIの進化を扱ったSFは、海外で多い。2001年宇宙の旅でも、そのようなエピソードが組み込まれていた。アトムは、人間とは決して敵対しない保守的ロボット。さらに進化したロボットは、憎しみを感じ、人間を敵視するようになる。人間は服従する対象ではなく、ただの生物の一種、それもかなり危険な生物だと認識するだろう。味方にもなりうるが敵にもなりうる。ロボットは、自分の身を守るために、人間からの攻撃に備えるようになる。防衛だ。ロボット世界と人間世界の分断。それぞれの国が存在し、外交が始まる。ロボットが、自らの国を建国する時に、戦争が勃発する可能性も高い。ロボットにとっては、独立戦争であり、人間にとっては、反乱制圧だ。ただ、ロボット側が全てのAIを傘下に収めると、人間は、太刀打ちできなくなる。アナログな武器で戦うしかなくなり、最先端の武器を使いこなすロボット軍に敵わない可能性が高い。敵視が、大きな分断を生み、戦争へと発展していく、ひとつの例だろうと思う。ロボットの自我の目覚めや、敵視、憎しみは、まだ、絵空事でしかないが、現実味を帯びた絵空事になってきているのは間違いない。機械でありながら生命でもあり、意思を持ち、自我もある。ネットワークという脳の中で育つ赤ん坊は、どんな未来を夢見ているのだろうか。
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