昨日日曜日、市内を原付で走り回っていると、車も人出も新型コロナ前より多いような印象を受けた。
夕方、ラズリの散歩で無人野菜直販所(息子が横須賀で農業を営む)に行くと、おばさんがちょうど蜜柑の袋詰めを終えたばかりの様子で、「この蜜柑、食べてみたら美味しかったよ」とのこと。なので一袋買うことにしたら、「よかったら皮が傷んだり変色していたりする蜜柑、持っていく?」と言いながら、小さなレジ袋に何個も入れてくれた(うちに帰って見てみたら10個あった)。規格外を好まぬ都会の人がいるおかげで、えらく得をした。
ラズリが恨めしそうにしているのを見て、犬でも蜜柑食べる? と訊かれたので、「もちろん」と言うと、外側の皮を剝いてラズリに与えてくれた。
「昨日、今日と横須賀で芋掘り農園をしてるんだけど、お客さんがすごくて駐車場で順番待ち状態なんだよ。昨日は500人、今日が700人来たよー」などとおばさんは嬉しいのか困ったのか分からない表情をされていたのだが、首都圏の人にとって三浦半島は絶好の観光地であることを改めて認識させられる。
今日は終日、細かな作業をしていて、一休みをする時間さえなかった。
翻刻を校正したり、銀杏を会社の先輩だったかたに送るために凝ったパッケージングをしたりしているうちに、あっという間に夕刻。
郵便局へ行く。銀行に行く。
その帰りに歩道を歩いていると、反対方向から、遠足風の小学生集団が横3列か4列で狭い歩道を歩いて来た。
私の前にいた人がその集団が去るまで立ち止まっていたら、私の後ろにいた男が「さっさとこちらも行きゃあいいじゃないか」と怒鳴り、前から来る小学生の列に逆らって歩き出した。
顔を見たら、私より5歳くらい上のジジイだった。
内心、私も「ちぇっ、このクソガキたちめ」などと苛ついていたので、そのジジイと心境は同じだ。しかし、違うのはそんな腹立たしさとは対極にある自制心と社会的マナーで、通り過ぎるのを待つべきだと思っていたことだ。
こういう辛抱が足らない人間が感情赴くままに、ヤフーでもmixiでも人間を貶めるコメント、中韓に対するヘイトスピーチなどをやっているんだろうな、と思う。
私も差別意識が強いのであるが、それがいかに偏見であるかということも知っているつもりだ。
この老人に限らず、現代人は自己抑制能力が減った。
話はまったく変わる。
先々週だったか、朝日新聞の別刷りで漱石の話題があって、その長い記事の最後あたりで、教科書で漱石が載っていたという時代も2022年からはなくなる、という一文があった。現代国語が「論理国語」と「文学国語」に分かたれて、後者については大学受験では取り上げられない方針ゆえ、ほとんどの高校では採択しないと書かれていた。
マジか?
一般的な高校生というのは入学当初、教科書で漱石や宮沢賢治、小林秀雄らをより深く知り、その延長線で文芸作品を読んでいくものだ。そもそも「論理国語」など、国語辞典が一冊あれば誰だって勉強しなくても理解できるわけで、より重要なのは「文学国語」である。これは他者を理解するための基礎教養として、そして自分を見つめるための基礎知識として、大切な勉強である。
そっか。一足お先にアメリカ国民(の4割)は教養を敵対視するようになったが、日本も同じ道をこれから歩むのかと想うと、文学教育にも比較的力点を置いている韓国より確実に劣っていくだろう。アベ政権以降、私はどっちかというと韓国を応援するようになってきた(苦笑)。
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