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2020年10月22日10:56

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SFの楽しみ方

SFの楽しみ方
 SFは、サイエンス・フィクションの略で、空想科学、というように訳す場合もあるが、今では、SFで通っている。物語には、おしなべてSF的要素が含まれていて、昔話のほとんどがSFの範疇に入る程だ。日本の小説や、物語も、元はSF的な要素がふんだんに盛り込まれていた。里見八犬伝などが良い例だし、中国の孫悟空もSFだ。物語にSFがつきものだったのだが、日本で、その価値観が大きく変わったのが、明治以降の西洋文化の導入だった。リアルな物語が優れているとされ、SFっぽい物語は、荒唐無稽と軽んじられた。この価値観は、SF的要素の強い漫画にも当てはめられ、漫画は、低級なもの、というようにされたわけだ。明治以降、SF小説は、どんなに名作でも、大衆の読み物、低級な読み物、という枠にはめられた。お分かりのように、大衆は、愚集である、という価値観が、そこにある。愚かな大衆を、優れたエリートが導く、というのが、当時の文化人の考え方だった。この考え方は、近年まで続く、差別的文化感とも言えるこの文化的階級意識の名残りは、サブカルチャーという呼び名だ。大衆文化をサブカルチャーだと断じ、メインカルチャーではないという。では、メインカルチャーとは、何なんだ?と問えば、どう答えるのだろうか。小説では、純文学、音楽ではクラシックとでも答えるのだろうか。その現状を晒しても、意味はないだろうが、文化の捉え方は、時代と共に大きく変わった。その流れで、SF小説の再評価が行われ、漫画も文化として認識されるようになる。ようやく、江戸時代以前の日本の物語の文化と現在とが繋がった感じだ。西洋文化を、あまりに高く評価し過ぎたために、日本の文化の断絶が起こっていたのだ。里見八犬伝も日本の物語であり、その世界観は、今のアニメや漫画、SF小説に通じるものだ。物語とSF的世界観は、親和性が高く、容易にSFを受け入れる素地がある。物語にとってリアルが、最大の価値ではないわけだ。リアルだから素晴らしい、という価値観はない。リアルであってもつまらないものは、つまらない。荒唐無稽であっても面白いものは面白い。リアルか、そうでないかは、物語の面白さとは、あまり関係がない。ある種の強調、ある種の夢物語、物語は、ドキュメントではなく、あくまでも精神世界の夢だ。人が、どうして夢を見るのか、という問いとも絡んでくるだろうが、現実の世界に生きて、辛酸を嘗めているにも関わらず、人は、夢をみる。それも、現実離れしている夢が多い。空を飛んだり、場面が、テレポテーションのように瞬時に入れ変わったり、過去に行ったりする。時に、死んだはずの人が、出てくる場合もある。その死んだはずの人と会っても、不思議だとは思わず、当たり前のように会話をしたりする。夢の中では、どんなに不思議な、現実離れしたことが起こっても、それを現実として受け入れる。後で、夢を思い返すと、その時の自分の心情が不思議でならない。人は、どうして夢でSF的世界を体験するのだろうか。人間の脳にとって、SF的世界は、どうしても必要な何かなのではないか、と思うようになった。現実だけが全てになった時、人の脳は、硬直し崩壊するのかもしれない。夢だけの世界が怖い世界だという認識はできるだろうと思う。それと同じように現実だけの世界も怖い世界なのだろう。夢は未来への希望。希望を失った世界は恐ろしい。









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