今日、ようやく恩師に宛てた手紙を書き終えることができた。今日こそ書こう、と思いながらも、便箋を広げる気にならない。先生主筆の結社歌誌が毎月送られてくるので、急がば回れということかと思い当たり、2020年の6冊をあらためて手に取る。2日間掛けてざっと目を通してみた。結局、わずか便箋3枚の手紙に1週間を費やした。
午後3時半頃、県立文学館から電話が掛かってきた。iPhoneに発信先が出るので、「書類に不備でもあったのか」と思ったのだが、どうやら私の手紙を読んでメールで返すのを躊躇したらしくて、電話となったようだった。
ホテル予約をまだしていないので来訪日時は決定していないのだが、おおまかな希望期間を伝えて了承を得た。
電話後、一昨日図書館から借りた『井伏鱒二全集第九巻』を開いた。昭和15〜16年の著作を収めた筑摩書房版。これから詩人の全集を編集するので、そのために何冊か全集の基本をおおまかにつかんでおきたい。漱石や芥川の全集は出来がいいとされているのだが、なんとなく本文を読む気にはなれないので、井伏鱒二あたりがいいか、と。彼はしばしば詩人の郷里・山梨県を訪ねて長逗留をしていたから、借りる気になれたのかもしれない。
名作とされる「へんろう宿」を再読してみた。不思議な小説だ。
井伏とおぼしき私は土佐に来ている。バスのなかで寝過ごしてしまい、安芸町で下車するはずが乗り越して終点の遍路岬まで来てしまった。最終バスはもう行ってしまったし、安芸町まで六里だという。そこでやむなく遍路岬でただ一軒しかない「へんろう宿」に泊まることにした、というわずか8頁の短編だ。
最初の頁で、6里=24キロも寝過ごすわけがないと思ったが、ひょっとしたら「あくまで作り話ですから本気にならないでくださいね」という井伏の暗喩かもしれない。
その宿はお遍路さんが子どもを捨てていく宿らしい。齢八十の婆さん、六十の婆さん、五十のおばさんと、小学生の女の子が二人いるのだが、いずれも遺棄された子どもだという。これが俄然、リアリティのある設定で、読者にあっては昭和15年のルポルタージュか、民俗学者の寄稿エッセイのように映る。
「へんろう宿」の次に収められているのは「掛け持ち」という短編で、甲府市の湯本温泉と伊豆の谷津温泉の宿を掛け持ちして働く男の、奇妙な話だった。これまた男の二面性が出ていて、面白い。
全集を編集するにあたっての約束事を学ぶはずが、こうしてただ井伏鱒二の小説ってリアルでかつシュールだなぁ、などと感心するただの読者になってしまったのだった。
今日もいろいろとたくさんのことをやったのだが、中身はどうでもいいようなことばかりだ。数時間は頭を使い、同じくらいの時間肉体労働をした。可もなく不可もなしの一日、かな。
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