近年
日本は狭くなったという人が多い……が
自分の足で歩くと、とても広い
近年
世界も情報メディアや交通手段の発達で
狭くなったと多くの人が錯覚している
自分で旅をしてみると
とてつもなく広い
便利で得たものは
新しい便利に捨てられる
世界のグローバル化という
先進諸国優先主義のエゴイズム
昨夜、亡くなったカメラマン宝田久人さんの期せずして「遺稿」になってしまった「言葉集」を読んでいた。思いつきで書いた分析もあれば、20歳の頃から守り続けてきた信条もある。一昨日、部屋の整理をしていて、偶然、この原稿の束が出て来た(冒頭に書いたような箴言が100本ほど)。
今日、宝田さんが眠る墓地へクルマで行った。場所は三浦半島の突端で、海に面した台地にある。うちから下道をクルマで走ると1時間弱。途中、大型スーパーに寄って仏花2束を買い、正午前に着いた。
クルマを運転している時から感じていたのだが、半島の最南端は南国の春の陽差しのようで、薄いダウンジャケットを脱いでも暑いくらいだった。買ってきた花を持って墓前へ。たわしで墓石を洗って、花を供えて、箒がないので手で枯れた花だとか落ち葉だとかを拾い集めて墓前を掃除し、また桶で水を汲んでは洗い流して。
昨日、さんざん遺稿を通して彼と話をしたので、こうしてあらためて彼の(墓の)前に立っても、話すことがない。
だから「今日のドライブのために、わざわざカーステ用のCDを焼いてみたんだ」とか「もう自分のためだとかお金のためだとかに神経をすり減らしたくないんだけど、誰かのためにならまだ頑張ってみようという気はある、どうだ偉いだろう(笑)」とか「ところで亡くなったのは23日だったっけ? 24日だったっけ?」とか「最近、写真はモノクロに限る、と強く思うようになった。物体というのは、しょせん光と影の点と集合だね」とか、ごくフツーに20分くらい話をした。彼が生きていようといまいと、どうでもいいような気にもなった。
掃除なども含めてきっちり1時間を墓地で過ごしたあと、同じ三浦市に住まいがある年長の友人に電話をし、「予定通り、午後1時半にマクドナルド着です。いまから向かいます」と状況を伝えた。昨日、連絡しておいたのだった。
そこは海の見えるマックで駐車場の完備している。道路を隔てて砂浜があり、太平洋が広がっていて、今日みたいな日は南の楽園に着いたような気持ちになる。200円のハンバーガーと100円のホットコーヒーを注文し、食べ終わった頃に友人がやって来た。ドンピシャリのタイミング。
話が弾んでしまい、マックを出たのは午後4時過ぎになってしまった。
夕暮れの海沿いを運転する。日が沈んでも西の空は、地平線の縁が茜色で、一瞬虹のようにも映った。
友人から手作りたくあんをもらった。今の時期、三浦市一帯は大根干しが風物詩となっていて、早漬けのたくあんが農協や出店で出まわっているらしい。
帰宅して、早速夕食のお伴に食べてみた。
本当のたくわんはこれだ、これ。
おいしいお米と本物のたくわんがあれば、あとは具だくさんの味噌汁だけでいい。
モノクロームの写真に惹かれていることと、手作りのたくわんが好ましく感じることは、根っこのところで繋がっている。
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