午後2時、雪ノ下教会にいた。
この教会は鎌倉のような小さな都市には不似合いなスケールの大きい教会で、聖堂内部は荘厳でかつモダン、キリスト教の奥深さに毎回、感心する。
犬繋がりの知人でご近所さん(80歳)が亡くなった。彼女のお葬式に参列するべく教会へ行ったのだった。葬儀のはじまりから出棺まで、1時間15分。これまでに教会でのお葬式に短時間で参加したことはあったが、式の終了までいたのは初めてかもしれない。
厳格なる式次第に則っておこなわれ、途中、パイプオルガンの演奏で聖歌を5曲、信者を中心に歌い、司祭が聖書の一節や故人への追悼などを透き通る声で朗々と述べる。
私はクリスチャンではないので、聖歌は知らない。歌詞集は事前に配布されているので、歌詞を追うだけだ。
気になるフレーズがあった。それは「いつくしみ(慈しみ)」という単語で、聖歌のなかで3回、司祭のお話のなかで2回、耳にした。たとえばこんなフレーズだ。
「神の恵みといつくしみで、私たちを救いたまえ」(正確ではありません)
亡くなられた女性の尊顔やしぐさをずっと想い浮かべていたのだが、ある時点から、すなわち「いつくしみ」という単語が気になり始めた頃から、不快千万なアメリカ大統領の顔が故人にとって変わった。
トランプはキリスト教の信者なのだろうか?
トランプ支持者らはキリト教徒なのだろうか?
およそキリスト教の教義とトランプ一味は好対照で、180度、方向性が違う。
オバマ大統領の演説は、キリスト教の教えが見え隠れするような友愛主義が見られたものであるが、トランプの記者会見やTwitterでキリスト教が反映しているか? そもそも共和党は保守で、保守はキリスト教と相性がいいはずだ。
聖堂に響きわたる聖歌を聴いていて、キリスト者は(私のような罪人と違って)ピュアだな、と感じ入っていたのだが、そうではないという反証ばかりが頭を過ぎってしまい、「今日はお葬式である。ゲスな人間のことなど思ってはいけない」と自身を戒めたのだった。
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