話は今週日曜の夜に遡る。
自室にあるMacBook Proのディスプレイをメガネを拭く柔らかな布でぬぐっていて気がついた。右上にほんの小さな傷がある。初めはゴミかと思ってしっかり何度も拭いてみたのだが、やっぱりそれは傷だった。
ショックだ。というのも、このMacbook Proは一度も家から持ち出したことがない。汚れた手で触ることさえない。それくらい大切に扱ってきた。山中湖に行く時は、旧型のMacBookを持参した。ボディに傷がつくのを恐れて、という理由で。
しかし傷ついたものは仕方ない。傷と言えるほどの傷でもない…といったんは諦めた。が、念のためネットで「MacBook Pro+ディスプレイ+傷」とググッてみたら、トップにこんな記事があるではないか。
https://yaritakunai.hatenablog.com/entry/2017/04/04/201000
http://www.milejournal.com/entry/macbook-pro-coating-retina-after-2
ひょっとして私のMacBook Proも同時期に製造された、ディスプレイが比較的弱いタイプかもしれない。
翌日の朝、アップルのサービスセンターにメッセージを出したら、すぐに電話があって、MacBook Proのシリアルナンバーなどを尋ねられた。
「本来は保障期間が過ぎていますが、AppleCareで無償修理をさせていただきます」
こんな風にコールセンターの女性から判定され、
「弊社からクロネコヤマト便を出してMacBook Proを回収し、直し終わったら返送します」
と言われた。無料だそうだ。
翌日火曜日、時間指定でクロネコヤマトの業者が来て、箱にも入れないまま剥き出しのMacBook Proを持って行かれた。たぶん特別な箱が用意してあるのだろう。
で、昨日木曜日の午後7時、私のMacBook Proは無事戻ってきたのだった。
ディスプレイのガラスを取り替えたので、当たり前のことながら傷がない。それより嬉しかったのは、ガラスの透明度が以前より高くなって、まるで解像度が上がったような映りになったことだ。災い転じて福となす、ってことか(大袈裟)。
今週は郵便物がたくさん届いた。友人からのハガキだが、うち1通だけは私にとって特別な手紙だった。
A4大の封筒の中に、高校時代の恩師が主催する短歌結社の歌誌と墨書の手紙が同封されていた。
手紙を読んで、自分を恥じた。この30年、恩師に年賀状一枚出していない。
先週、お節介なやつが私の近況などを先生に言いつけ、私が先生のツイッターを読んでいることや60歳を超えてもまだ文学青年であるということが先生の耳に入ったのだった。それで先生は私に歌誌を送ってくれた。
手紙の半ばにはこう書かれていた。
「これが送られている間は、何とか私が元気でいると思って下さるだけで十分です。押しつけになりますが、何とぞ意のあるところをお汲み取り下さい」
俺はなんて失礼な人間なのだ。先生にこんなことを書かせるなんて、と思うと、苦い気持ちになる。
2時間ほどかけて3カ月分の歌誌を全て拝読した。
ずっと前にAmazonで買った先生の歌集を引っ張り出して読んだ。
夜11時くらいになって、早く返信しなけりゃと思い、パソコンでざっと下書きをした。明日、それを元に手書きをすればいい、と。
翌日、下書きを読み返すと、あまり自分に似つかわしくない文体と内容だったので、ほぼゼロから便箋に手書きで手紙を書き始めた。
つっかえつっかえしながら書いた。3時間近くかかってしまった。
書き終わってあまりいい出来ではない、と思ったのだけれど、早く出すのが誠意を示すということだろうと割り切って、郵便局へ投函しに行った。
だらしなく生きていると不義理ばっかりするものだ。
このことを否が応でも自覚させられ、反省し、今後どう先生に、否、世間に「恩返し」をしていけばいいのだろう、などと考え込んだのだった。
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