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2018年02月04日11:59

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節分にヒイラギに李琴峰に

 昨日2月4日は節分の日。
 午前11時半、借りた本を返却しがてら自転車で図書館へ行く。朝、有機栽培イチゴが届いたので、闘病中の友人におすそ分けするべく彼の家に寄って「これでビタミン補給をしてくれ」などと笑って手渡した。
 dマガジンに入会以降、図書館に行く回数が週1から月2になった。ちなみに本の返済期限は2週間だ。
 大して暖房もしていないのに、自転車で走ってたどり着いたものだから図書館館内はずいぶんと暖かく感じる。鎌倉中央図書館自体、昔の村の図書館とか老舗書店にありがちな伝統に育まれた温かさがあって、空調が悪い建物でありながら寒さも暑さも感じない。
 先生が高松図書館から借りて読まれた「新潮」1月号(バックナンバー)は、やはり既に貸し出し中で、なかった。鎌倉では文芸誌の愛読者が複数名いるようで、貸し出し可能になった日からだいたい2カ月は誰かが真っ先に借り受けている。ライバル多し。
 貸し出し可能な文芸誌のバックナンバーを何冊か手に取っていると、「群像」11月号で片岡義男が書評を寄せているのを見つけた。先週の週刊朝日と同様まさか途中までしか読んでない時点で書評を書いたのではないだろうな、と笑いながら立ち読みをしたら……。
 な、なんと230ページのうち30ページを読んだ段階でこの書評を書いていた!
 そんな馬鹿な。もし中盤後半と読み進めて凡作であればどうすんの? と御大に質問をしたいし、担当編集者に「こういうのありなの?」と疑問をぶつけたいし、片岡義男の追っかけ読者に対しては「読まずに書評するのは片岡センセ流なのか?」と訊いてみたくなる。が、小説にせよ書評にせよエッセイにせよ、決まった型というのがない以上、詮索するのは野暮である。いまの世の中、誰も彼もが「私、裁く人」となって、ちょっとしたミスとか不道徳を180度歪んだ正義感で糾弾する。さういふ者になりたくないやねぇ。
 この群像、なんとなく面白そうかも、と借りることにした。他に柳美里の新刊エッセイ集も借りた。
 帰りにスーパーへ寄って、福豆を買った。手のひらいっぱいくらいの量で、88円だった。
 帰宅後、群像所収の「流光」、台湾の李琴峰という作家の短編90枚をまず読んでみた。精読したので意外と時間がかかって、1時間ちょっとを費やした。
 主人公の女性は、LGBT(この小説の場合はレズビアン)でしかもマゾヒストという設定。繩で縛られたり鞭で叩かれることに生の歓びがある、という前提で生きる26歳女性会社員の出会いと別れを描いた佳作だった。その文章力もさることながら、著者ご自身のLGBTカミングアウト小説と受け取れる内容で、「在日アジア人」+「LGBT的フェミニズム」文学の旗手になれる力を秘めたかただと感じた。ネットで調べてみたら、昨年の群像新人賞で正賞こと逸したが優秀賞に輝いた新人だった。正賞は受賞者なし。出版界の雄・講談社の群像だから正賞にしなかったのか、と勘ぐりたくなったが、新人賞の受賞作を読んでいないのでなんとも言えない。
 読み終わって気が抜けたところで、隣の人がうちにやって来た。
「今年もヒイラギ、ちょうだい」
 という用件だ。
 手にはメザシ1尾を持っていて、「おたくもやりなさいよ」と渡される。
 彼女は自分ちの分とうちの分の2枝を持参してきた鋏で切って、帰った。
 すぐにメザシをヒイラギの枝に固定させ、玄関ドアに飾った。
 実にいい気分だ。
 昨今の恵方巻ブームはもはや反撃をしたところでどうなるものでもない。個人的には、不安商法を根底とした反社会的な文脈だ、と思っている。不易流行でさえない。こうしたブームに乗っかりたい、というのは分からないでもないが、俺はイヤだ。恵方巻くらいのレベルなら罪もないが、基本的人権だとか恒久平和の希求という日本国憲法の次元で自分が過ちをおかしたくないから。
 夜、ごはんを食べたあと、豆まきをした。
 室内の床に落ちた豆は一粒残らずラズリが食べた。
 そして今朝、ラズリを見たら、一回りラズリは丸くなっていたのだった。
 でかっ!
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