朝9時過ぎ、ラズリの散歩で寺の二天門をくぐったら、20人くらいの方々がそれぞれデジタル一眼を構えて先々週から満開を迎えたのうぜんかずらを撮っていた。鎌倉の花情報は各種SNSなどのネット情報で拡散されているのだろうか。小泉今日子主演の『最後から二番目の恋』や剛力彩芽の『ビブリア古書堂の事件手帖』あたりから鎌倉(観光)はバブル状態を迎えている。鎌倉が舞台のドラマは、多少お疲れ気味の都市生活者を念頭に置いたファンタジーの町として描かれ、贔屓目で見られるようになった。のうぜんかずらなんてマイナーな花でもこうして大勢のかたに見てもらえるのは、嬉しいと言えば嬉しいけれど、オセロゲームみたいにいったん白が黒になったらバタバタと形勢が逆転して、「京都に較べりゃ寺社仏閣はどれもこれも二流じゃないか」「食い物が不味い割にお値段は一丁前!」「駅のトイレは人気ラーメン店くらいの大行列」「鎌倉の花火大会が拍子抜けするくらいしょぼい」「盛り上がってきたのにラブホテルが一軒もねえ」などの欠点に目が行って、いきなり凋落するのもまたイヤなものだ。
朝ごはんのあと、2杯目の珈琲を飲んでいたら、NTT電話に着信があって、出たら日本生命の営業さんだった。話し始めて20秒くらい経ったところで、スマホにも電話がかかってきた。あとでこちらから掛け直せばいいや。
ニッセイのおばさんと話が終わってiPhoneを見てみたら、大学時代の友人Sからだった。何年ぶりだ? 10数年になるか。
私から連絡を取りにくくなっていた。
彼は繊細な人間で、大学を卒業後社会に一歩も出ることなく、自宅内に自らを幽閉しているような暮らしで40年近く生きている。電話を入れたり手紙を書いたりしたことも幾度かあった。が、立ち入ることはすなわち、彼の心に侵犯してざわつかせるおそれがあるので、すんなりとは行かない。
私も似た性格があって、出来ればそっとしていて欲しい、と願う気持ちが常にある。
「街に出るのが怖いんだ。誰かとぶつからないか、自分は避けることができるか、と想ったら、それだけでドキドキしてしまう」
Sはそんなことを語りながら震えていた。
私はどういうわけか、疚しさを感じた。自分が薄汚い人間であるような気にもなった。
この話は20年近く前のことだが、学生時代にも薄々感じていたことがある。
彼も私も大学は4年で卒業をせず、同じ年、我々は大学5年生だった。私はほとんど友だちもいなくなり、しかしそんな生活が快適でもあった。講義をしっかり聞き、研究室で文献を漁っては読んでカードに要点を記入し、図書館で本と雑誌を読む。どれもが一人でやることで、人とつるむことが邪魔だった。
ときどきキャンバスでSに出くわすことがあった。立ち話しかしなかった。その当時から無表情で、喋り方も内に籠っている人間特有の陰気さとナイーブさが同居していた。私も似たり寄ったりだった。
彼は私のことをもう少し知りたがっているような気もした。が、口には出さなかったので、ふたりの距離は縮まらなかった。
それは卒業後も同じだ。
「電話をくれたようだけど、元気にやってる?」
iPhoneの送話口に向かって喋り掛けたら
「うん、まだ元気でやってる」
と鸚鵡返しに彼は答えた。
「もう何年になるかな、最後に話してから。Sが元気でいるんだったら、俺はそれだけで嬉しいよ」
「うん」
「Oとはときどき手紙を出し合ったり、Fとはこの間、写真付きのメールをもらったところだ。スマホなら写真でも送ろうか?」
「ガラケーなんだ。壞れたらスマホに替えようかと思ってる」
「壞れないほうがいいよね、ガラケーでいいもん」
別れた女との会話みたいだ。
「Sの声を聞いたらさ、はがきの一枚でも出したくなったよ」と私が言うと、一瞬の間を置いて、Sはこう言った。
「おれ、誰からも手紙、来ないんだ。だから、書いてくれよ」
ふたたび、私は疚しさのような感情を覚えた。私は悪くないのに、自分がすれっからしになったような疚しさだ。
「わかった。とりあえず何か書いて出してみる」
せっかく電話で繋がったというのに会話は5分ちょっとで終わってしまった。学生時代の立ち話と同じだ。
電話を切って、パソコンを起ち上げた。
ワープロアプリで用紙サイズをはがきに設定し、13行の罫線とスイカのイラストを貼り付け、和紙風のはがき用紙に印刷した。
思いつくままに小さな字で書き始め、ひと息に喋り続けたら、13行が埋まってしまった。まだまだ書こうと思えばいくらでも書ける。でもこれくらいの内容と量がいいかな。
自分の肉筆を眺めてみたら、知らない自分の一面が一瞬見えた気がした。温かい字に見えた。
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