スマホに通話の着信があったのでディスプレイ上の「電話に出る」ボタンをクリックすれども反応せず。このところ調子が悪くなっている。買ってまだ2年半、それとも、もう2年半?
スマホが好きだとか生活上絶対に必要なツールであれば買い替えなのだろうが、出来ればスマホなんてないに越したことがないと常々思っているので、スマホには冷淡にならざるを得ない。私の中の順位では、ポットで育ちつつあるニンニクよりも下位にある。昨年古物屋で買った室内用の草ぼうきとスマホでも、草ぼうきのほうが大事。まあ完全に昇天した時点でまた考えよう。
門の松は取り込み、年賀状は4通。
1通の年賀状は私にとってのお年玉だった。昨年、鎌倉在住のライターさんイラストレーターさんとランチをしたのだが、その一人からのものだった。若い世代なので日本郵政の年賀状なんて草ぼうき同様、大して縁のないアイテムだろう。私が出した年賀状の返信なのだが、そこに書かれた文面を読んでうれしく感じた。私と会ったあと、『森の詩人』を買ったか図書館で借りたか、ともかく読んでくれていた。ちょっとした感想が書かれてあった。
白石一文の『幻影の星』は午前と午後の境目に読了。
読んでいる間、しばしば息を詰めて集中するほどに、重くて難解で、かつ面白い小説だった。小説というのは語り手が作り上げる荒唐無稽な物語、もしくは自虐か諧謔かをまぶしながら自分自身の精神や生活を都合よくすくい取って切り売りする作文である。が、ときどき「学」の字を含んだ「文学」と表したい作品はあるもので、『幻影の星』はあまりに文学的だった。
観念的哲学や宇宙物理などを作品に駆使して、生きること=イリュージョン、という前衛的なる実存主義を掲げて順々に説いていく内容だった。時間は過去から未来へと流れ行くものである、というのが前提で我々は働き、食事をとり、恋をし、旅をするのだが、本書では物も観念もタイムスリップするSFが、少なくとも著者にあって論理破綻のない自然さで語られるのだから、読むほうもそれなりに心して考えないと受け取れないような難解さがある。
本書が書かれた時期は東日本大震災から数カ月経った頃だ。テーマは震災と違うものの、震災前と震災後にはっきりとした断絶はある、という大前提が白石の中にはあって、その意味で震災小説と言えなくもない。いや、むしろ震災の不条理や無常をそのまま書いた浅い小説が多いなかでは出色の震災文学だと、個人的には思った。
読み終わってからAmazonの口コミを読んだら、感想が真っ二つに割れていた。どちらの読者もわかる。私は五つ星を付けたいが、それは働きもせずだらだらと本を読める恵まれた時間があるからかもしれなくて、もし自分が今週今月今年の厳しい営業目標が課せられた年俸制サラリーマンだとしたら「なにを夢物語なことをぬかしていやがる」というような感想を吐く可能性が高い。
夕方、『新沖縄修学旅行』という本を読み始めた。
第1章「沖縄戦」、第2章「基地の島」、第3章「亜熱帯の自然」……。こういう本を事前に開いてしまうのがいけないのだろうな。今月、またまた沖縄に行くことにしたので、沖縄本を手に取るようになった。
米軍基地を最低でも沖縄県外へ、などと(真っ当すぎる)方針を語った総理を、国民もマスコミも寄ってたかってバカにしていたことを思い出して、1分間ほど不愉快になった。もはや国民総意でもあるだろうから、北朝鮮を相手に米軍+韓国軍+自衛隊で戦えば? とヨタを飛ばしたい気分だ。いや、すでに昨年の安保法制改悪で今回のような場合の集団的自衛権は行使できることになっていた。ああ、こわ。
ログインしてコメントを確認・投稿する