昨夜、YouTubeでいちばん最後に聴いた曲が胸に沁みた。沢田研二の「コバルトの季節の中で」だ。秋をテーマにした曲を聴こうと考えたら自然とこの曲が浮かんできたのだった。
コバルトが 目にしみますね
誰だって 秋は独りですね
だから今朝はなにも 話しかけません
しあわせの手ざわりが
いまとても懐しく
足早に過ぎて行く この秋の中で
あなたを 見失いたくないのです
Wikiで調べたら、1976年9月に発売、とあった。私は73年から80年までテレビのない生活だったので、ラジオを聴く時間が長かった。テレビと違ってシンガーの「絵」がないものだから、純粋に音楽は音だけの判断になる。「コバルトの季節の中で」は自分にあって衝撃的なメロディと歌詞で、ここで初めてジュリーってかっこいいなぁと好きになったのだった。新幹線だかタクシーの中だか忘れたが、沢田研二はちょっとした暴力事件をひき起こして謹慎の身となり、この曲で復帰したということも惹かれるフックとなった。ひょっとしたら大学受験の失敗という挫折や生来の孤独癖といった潜在的劣等感が、再起を果たそうとする沢田研二への共感に繋がったのかもしれない。
YouTubeで音楽ライブ動画を見る時、ときどきネット上に公開されている歌詞をプリントアウトして、歌を追うことがある。昨日は一度聞き終えたあと歌詞を印刷して、もう一回別のライブ動画を開いて聴いてみた。歳をとったジュリーの歌い方も好感が持てた。過去の持ち歌をシャンソン風とかアコースティック調とかにアレンジして歌うミュージシャンが多いけれど、ジュリーはファンの期待のミディアン、すなわちヒットした曲調を変えない歌い方に努めていた。聴き終わったあとも歌詞を眺めるように読み、この曲から40年近い歳月が流れたことに思い至る。最近自分が歩いてきた道程をこうしてぼんやり振り返ることが増えた。
朝、起きたら、初っぱなから頭のなかに「コバルトの季節の中で」の歌詞とメロディが流れ出して困った。昨日とは一転、空は秋らしい蒼穹が広がっていた。
今日は来客があるので、いつもよりは念入りに掃除をする。草ぼうきでラズリの毛を掃いたあと、雑巾掛けをした。体調が悪いせいか、立ち上がったら貧血を覚えた。
あ、トイレだ。
うちは1階と2階にトイレがあって、1階のトイレに付けているウォシュレットの暖房機能が故障している。9月に暖房便座のスイッチをオンにしたら、温まらないことが判明。直すか買い直すか、ということは全く考えず、電気の節約を余儀なくされたのはこれ幸い、と思った。しかしウォシュレット機能は壞れていないので、このまま使い続けよう。原発反対の意志を家の中でしたってなんのアピールにもならないが、観念上の政治理念じゃなくて日々の暮らしのなかでサヨクをしたい。
しかし今日みたいに誰かが来るとなると、かっこ悪いんだよなぁ。
で、午後イチに来客。昨日買っておいた「美鈴」の上生とコーヒーを出す。食べ物にめっぽう弱いラズリはテーブルから離れようとしない。犬嫌いな人だと足元にへばりつくよう伏せっている犬に耐えられないだろうな(苦笑)。
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