10日、ハイヒールのはてな?は、日本文化と植物。古来より日本人は、植物を愛で草花を育ててきた。江戸時代に、一大園芸ブームが起こり、品種改良が進んで、様々な園芸種が作られた。江戸の朝顔等が有名で、浮世絵に園芸種の朝顔が紹介されている。ソメイヨシノも、江戸時代、江戸の染井村で作られた園芸種で、現代日本中に広がっているソメイヨシノは、その時に作られたソメイヨシノのクローンだ。主に接木で苗木が作られている。それを、人の手によって、植えられていったのが現代のソメイヨシノ。ちなみに、桜で有名な吉野の桜は、山桜で、ソメイヨシノではない。江戸時代、すでに吉野の桜は有名で、その吉野にあやかって、ソメイヨシノと命名された。秋に、毒々しい程の赤い花を咲かせる彼岸花も日本の風物詩の一つだが、お墓の周りに咲く事が多い。彼岸花も種を付けず、球根で増えるため、お墓の彼岸花も人が植えたものだ。日本中の彼岸花もソメイヨシノ同様、人の手によって増えていった植物になる。これは、モグラやネズミ避けの意味があったのだとか。彼岸花には毒がありモグラやネズミがきらって近寄らないために、畑やお墓を荒らされないように彼岸花を植えたのだそうだ。彼岸花自体に、お墓を好む傾向はない。番組では、門松の由来を紹介。門松は、最初は、松の枝を飾っていただけだったのだとか。戦国時代も正月には、松を飾っていたのだが、徳川家康が武田信玄との戦に負けて籠城していて新年になり、武田信玄から、家康に新年のメッセージが送られてきた。
松枯れて 竹たぐひなき明日かな
松は、徳川の元の名、松平を意味し、竹は武田。つまり、徳川は、滅びて武田が栄えると言う意味で、家康をディスったものだ。
これに腹を立てた家康は、返歌を送る。
松枯れで 竹だ首無き 明日かな
この句に、首を飛ばした竹(斜めに切った竹)を入れた門松も添えて、信玄への新年の挨拶とした。
門松には、真ん中に、斜めに切った竹が置かれているが、これを、武田信玄の首を落とすと見立てたのだ。その後、徳川家康が天下を取ると、この斜めに切った竹を使った門松が、広く全国に広がるようになっていった。ただ、武田家の地元、甲州では、門松の竹は、斜めに切り落とさないそうだ。斜めに切り落とすと見てくれは良くなるのだが、実は、首を切り落とすと言う意味だった訳で、あまり縁起が良い訳ではない。竹は斜めに切らずに、そのまま使った方が新年を迎える門松としては適している。ただ、今は意匠として切っていて、本来の意味はなくなったと解釈しているのだろう。戦国時代つながりで、城になぜ松が多いのか賢ブレーンの先生が解説。城の松は、装飾の意味だけではなく、いろいろと実用に使われていたそうだ。松明、そして松ヤニは薬として使われた。最後の手段として、松の薄皮を食料としたのだそうだ。今でも、松の薄皮を使った餅が存在する。松皮餅で、薄皮を加工して餅米に混ぜ、あんこを包んだ餅にする。実は、彼岸花の球根も非常食となっていた。もちろん毒があるので、そのままでは食べられない。水に晒して毒を抜き、でんぷんを取り出して、それを食べていた。栃餅もそうで、トチの実は、そのままでは食べられないので、加工してアクを抜いて使用する。サツマイモ等は、土の中に芋ができるため、知らないとただの雑草のように見える。こっそりサツマイモを生産して飢饉に備えていたそうだ。サツマイモは多くの人の命を救っている。今も、園芸ブームで、本格的な庭園から、ベランダ園芸まで、いろいろ楽しまれているが、意外に良いのが、植物の葉っぱ鑑賞だ。花は、もちろん華やかで綺麗なのだが、花を付けるのは一時期で、その他の季節は、ほぼ葉っぱだけになる。その葉っぱも、なかなか味わい深いものだ。シダ類が意外に良い。日本の風土にも合っていて、特別な手入れも肥料もさほどいらない。水さえやっていれば育つので楽だ。究極の園芸は、雑草かも知れない。土を入れた植木鉢をベランダにでも出して、水をやっていると、あら不思議、勝手に雑草が生えてくる。それを楽しむのだ。手間いらずで、物臭者にはもってこいかも。
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