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2015年09月07日10:23

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良し悪しは、目口鼻から出るものか

 東京五輪エンブレム騒動で思ったのが、日本的とは何か、と言う問題。明治以降、日本は急激に西洋化していき、その段階で、日本的な考え方や美意識が破壊され、また、その反動が起こったりと、かなり混乱していた。日本は太平洋戦争の前と後では、その国家的体制が大きく変わる。戦後、冷戦が始まり、世界の大きなテーマは社会主義、共産主義の台頭とどう向き合うかになる。冷戦によっても美的価値観は大きく影響を受け、アメリカの抽象至上主義的思考が美術界を席巻するようになっていく。至高の芸術、純粋芸術、これらの言葉を使うのが特徴だ。これは、共産圏の社会主義リアリズム絵画と対比するために、自由圏では意図的な抽象至上主義が政府主導で唱えられていったためだ。文化が戦いのための武器として使われたのだ。不自然で独善的な価値観や美意識が特徴。一種の政治的プロパガンダなので、アジ臭がする。抽象絵画が至高の芸術として異様に持ち上げられていた時代に、デザインもこの価値観に影響を受けるようになっていく。元々デザインには抽象的要素が強く存在したので、さほど違和感はなかったのではないだろうか。今から当時の美術運動を見直すと、意外に弱々しい印象を受ける。抽象的表現を採用しているのだが、造形的な強さが感じられないのだ。これは、流行の悲しい宿命でもあり、表層的な流行にとどまっている場合は、造形的に弱々しくなる傾向があるのだ。冷戦の終結と共に、文化は政治的プロパガンダから解放され、自由になっていく。絵画は、はっきりと変化していくのだが、デザインの場合は、さほど大きな変化は見られない。ブレ幅が少ないのがデザインの特徴でもあるのだろう。今回の東京五輪エンブレム問題にも、日本とは何か、東京とは何か、オリンピックとは何か、と言う大きなテーマが横たわっていた。新国立競技場のデザインにしても、今回の五輪エンブレムにしても、選択されたデザインが、どこか古いと言う印象を受けてしまう。価値観が後ろ向きで、過去に高く評価された価値観を元にデザインされている、と言う風だ。それが、パクリを連想させたのだろうと思うし、デザイナーがそれに反論したのは、デザインの価値観を否定されたように感じたからかも知れない。ただ、今回の東京五輪エンブレムが国民に響かなかったのは、そのエンブレムが権威主義の衣をまとっていたからでもあった。つまり過去の価値感を権威として利用して、国民を従わせようとする意図が見えてしまったのだ。こう言うデザインなら高く評価されるだろう、と言う思惑だ。絵画では、非常に嫌われるアプローチで、反発する作家も多い。はっきり言えば、作者の情熱や思いがデザインに乗っていないのだ。計算高いデザインと言う印象を持ってしまう。新国立競技場にしても、東京五輪エンブレムにしても、一見 意識が高いように思わるデザインだが、実際には、過去の権威によりそった選択で、心に響いてくる要素が、そこにはあまりなかった。日本とは何か、そして、現代の日本と言うテーマも咀嚼できておらず、表現が薄っぺらくなってしまっていたのだ。本当に力のあるデザイナーでなくては、このテーマを咀嚼して表現するのは難しい。その能力がまだないのなら、気持ちでそれを補うしかないではないか。心の底から湧き上がる情熱や思いをデザインにしていくしかない。それでいいと思っている。デザインとしては稚拙かも知れないが、気持ちが表現されていれば、それはオリンピックのエンブレムとして相応しいものだ。新しい可能性を秘めた造形は、どこか破綻しているものでもある。デザインとして上等である事を求め過ぎれば、気持ちは薄れていく。今は、日本とは何かを咀嚼できるような時期ではないのだろうと思っている。そんなに急ぐ必要もないし、咀嚼できなくて、混沌としているのが現実なら、それを表現すれば良いのではないだろうか。
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