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2015年06月04日22:10

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舞踏家の過去

 歯の激痛がぶり返してのたうちまわり、鎮痛剤でなんとか耐えている。水俣病の患者が「どれほどの痛みですか?」という支援者の質問に対して「足が痺れて立ち上がる時の10倍痛いです」と答えた、という逸話を不意に思い出す。いやはや、左翼っぽい私。
 いい天気なので、布団を干した。半年くらい布団カバーを替えていないので洗おう。風呂の残り湯で手洗いし、脱水だけ洗濯機を使った。今日みたいな晴天なら、これで夕方までには乾くだろう(乾いた!)。
 お嫁に出すガクアジサイ苗のポットを替えることにした。前もってホームセンターで100個買ってきた。数えてみたら苗は60個ほどあった。一つひとつ苗をポットからいったん出して新品のポットに入れ、隙間に土を入れる。単純作業の繰り返しだが、神経症患者の作業療法みたいで、根気は続くし、やっていて楽しい。60個のポット交換で1時間半もかかった。唯一、蚊が体の周りを飛ぶ耳障りな羽音だけが不快だが、まだそれほど活発でもなさそうで激しく刺して来ることもなかった。
 昨年7月の枝挿しで一部の苗から花が咲いた。平年と較べて冬が暖かだったからだろう。
 
 午後3時前、郵便受けを見たら、本の入った部厚い封筒、月1届く舞踏家からのDM、山中湖村役場から県民税徴収表、県民共済の厚生施設案内冊子、国境なき医師団から定期報告などなどバラエティ豊かな「品揃え」だった。国境なき医師団の2014年度財務は寄付金総額70.3億円で一般個人支援者数28万5千人、日本からのスタッフ派遣状況は19カ国40人。寄付金総額は先進諸国からすれば低いかもしれないが、寄付をした国民が28万人余りもいるというのは希望が持てる。
 舞踏家が毎月綴るG-Box通信は、よく出来たブログ以上に面白く読める。今月のエッセイは凡百の小説よりも小説っぽい内容だった。
 先月号では、彼の母のマンションに遺された物を業者に依頼して廃棄してもらうことにした、とあった。で、今月号のエッセイでは、引き取り日の前日にどうも気に掛かる物があったのでもう一度確かめに行ったという出だしから始まる。
 仏壇の下にある収納に、母の兄(彼にとっては叔父にあたる)宛てに届いた手紙類があった。叔父は戦前と戦後、四国で旅芝居の役者をしていたという。叔父宛の手紙類とは別に芝居のポスターやチケット、演目内容などが書かれたノート、叔父の写真などもそこにはあった。
 叔父はなんらかの事情で一座をたたみ、単身で上京し、両親の家にしばらく厄介になった。当時の奥さんからの手紙が5通あって、子供成長報告とか、生活の窮乏を訴えたり、また一緒に暮らしたいというような内容だった。子供からの手紙も1通あって「帰って来て! また一緒暮らしたい」と書かれていた。それからまた年月が経ち、奥さんの兄から「もう帰ってこなくていい。今後いっさい縁を切る」という手紙もあった。
 そこまでは、母の兄(叔父)の話だ。が、これを受け手、舞踏家は自分も叔父と似たようなものだ、と述べ出し、私は俄然、興味が募った。
 彼のおおよその話は、萩原葉子さんから聞いていた。が、真相は知らないに等しい。
 彼は大学卒業後、北海道の小樽市で前衛舞踏集団の一員として活動を始め、現地の女性と結婚した。その後、彼女と上京して葛飾区に住む。ショウダンスの仕事を始め、子供が2人授かった。しかし、妻の両親が具合悪くなって、看病のため小樽の実家に帰った。そして、妻は戻らなかった。すなわち、離婚することとなる。彼はショウのパートナーと再婚した。
 彼が再婚していることも知っているし、再婚者とも会ったことがある。が、舞踏家のこうした詳しい半生は知らなかった。
 舞踏家はエッセイの終わりごろで「人生のしっぺ返しだと思う」と書き、50歳代後半の人生は苦渋に溢れていた、と回想している。そしてマイナスを受け入れてじっと耐えたことで、60歳を過ぎてからようやく大人らしい人生をいま歩み始めたのかな、と書いていた。
 しばし考え込んだあと、今度は献本を読み始めた。
 人生って面白いもんだね。
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